ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

土の中の子供

中村文則の「土の中の子供」を読んだ。図書館で借りた。

土の中の子供 (新潮文庫)

土の中の子供 (新潮文庫)

 

 読んだ後にこれが芥川賞だったことを知った(知ってたかもしれないけど、忘れてた)。

僕はこの人の本をいくつか読んだあとにこの本を読んだのだけど、主人公が虐待を受けていたり、捨てられたりしていて、暗くて設定が似ているような気もするけど、それでも少しだけ希望がみえてきたりする救いもあって、主人公のいうようにこういった小説があるのは、

「まあ、なんというか、救われる気がするんだよ。色々考えたり、世界とやっていくのを難しく思ってるのが、自分だけじゃないってわかるだけでも。」

ということなんだと思う。

 

 中村文則の「銃」を読んだ。

銃 (河出文庫)

銃 (河出文庫)

 

 「銃」は中村文則のデビュー作。

複雑な環境に育ちつつも、表面的にはうまくやってきた主人公が、拳銃を拾うことでそれまでの自分とはどんどん変わっていってしまう(特に内面が)という話。

なにか特別なものを得て、それまでの自分とは変わってしまう、あるいは変わってしまいたいと思うようなことは、複雑な環境に育った人だけでなく、普通の人でも若いころはあるような気がした。

 

建築を気持ちで考える

堀部安嗣の「建築を気持ちで考える」を読んだ。

堀部安嗣 建築を気持ちで考える

堀部安嗣 建築を気持ちで考える

 

前半は堀部さんが影響を受けた建築についての紹介。アスプルンド、カーン、ライト、アアルト、スカルパ、あとは日本のお寺など。 

 ライト以外のカーンやアアルト、スカルパの世代が近いのはやっぱりモダニズムと現代の間に何かいい時代があったとしか思えない。W・カーティスの本とかにはこの辺の人たちをクリティカルリージョナリズム(批判的地域主義)と呼んでいて、安藤忠雄とかもここに入ってくる。ライトについてはモダニズムに完全には乗っかっていない良さがあるのかもしれない。僕はこの辺の人たちの建築をひとつもみたことがなくて、本とかでみてかなりいいんだろうなということは分かるので、いつかいってみたい。

僕が独立した年にこの人の処女作「南の家」と「ある町医者の記念館」をみて、20代の時にこれをつくったことに驚いた。

僕もこの人のように建築と向き合いたいと思うし、こういった本を読むと自分も建築をやっていてよかったなと思う。

ギャラ間でやってた展覧会は行くかどうか迷って結局年度末の忙しさに負けて行けなかった。この本の最後に作品リストが掲載されてて見学できるものもあるみたいなので、また見に行きたいなと思う。

 

何もかも憂鬱な夜に

中村文則の「何もかも憂鬱な夜に」を読んだ。

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

 

 今年はこの人の本ばかり読んでいる。

「どのような人間でも、芸術にふれる権利はある」

「人間とその人間の命は別だから」

だいたい暗い話なんだけど、どこか生きる意味を考えたり、生きていて大丈夫だと確認できたりする。

又吉が解説で書いていたように、「垂直に掘り進めてきた穴を横に広げる時代」にこういう小説を書いている人がいるんだなと思った。

この表現(垂直に掘り進めてきた穴を横に広げる時代)ってつまりポストモダン以降のことなんだと思うけど、建築だとどうなんだろう。

ひたすら新しいバリエーションばかりつくって(横に穴を広げるばかりで)全然穴は深くなってないのでは。

ひらかれる建築

松村秀一の「ひらかれる建築」を読んだ。

ひらかれる建築: 「民主化」の作法 (ちくま新書 1214)

ひらかれる建築: 「民主化」の作法 (ちくま新書 1214)

 

何か新しい視点があるかと思ったけど民主化についてはそうでもなかった。

住宅メーカーなどに関する研究については豊富なデータがあるのでそこはおもしろかったんだけど、その先の時代のこと(2000年代以降の話)については聞いたことがあるようなことが多かった。

ストックが十分にあるわけだから、それをうまくつかうこと、新しいものをたてるよりいまあるもので使われてないものをいきいきとつかうひとたちがでてくることは大事だという話なんだけど。

僕も古いものの改修とかに関わることがあるけど、現行法を満足していないもののあつかいは悩む。古いものの補強、断熱、省エネのことなどを考えると、法的に改修義務がないものだとしても、建築士としてはなんだか積極的になれない。不動産屋なども責任持てないから敬遠されがちだと聞く。改修は金がかかるからと、そこをさぼっておいてあとで事故があったり、やたら電気代がかかったりして専門家の責任になると困るので、そのへんは使う人たちの責任のもとでやってもらうしかない。つまりそういった場合は僕は建築士として関わることはできない。

最近は「建築をしない建築」とかがポピュラーになってきて、微妙な操作の改造をやってみたり、地域を盛り上げたりするのをよく雑誌とかで見る。ワークショップをやったりして利用者を育てることはとても大事だということはよくわかるんだけど、それって本当に僕らがプロとしてやるべき仕事なんだろうかといった疑問は以前から大いに感じている。

今はリノベーションとかまちづくりとかをやっている若い人たちも、いまは仕事がなくて、できる範囲のことでおもしろいことをしたいと思ってそういうのをやっているだけで、建築の仕事が増えてきたらそうでもなくなるんじゃないかなと思ってしまうし、いつまでもそこばかり掘り下げて、本当に建築をしないとなると、それはもはや建築の専門家ではないから、まちづくりなどでも建築の専門家としてのアドバイスはできないのでは。

僕はもう少し建築そのものの力をまだ信じてやろうと思っているんだけど、もうそれは古いんだろうか…

舞台

今年(2016年)読んだ本の中では、西加奈子の「舞台」が一番面白かった。図書館で借りた。

舞台

舞台

 

 本の中で特になにが起こるってわけでもなく、ただ主人公の自意識過剰っぷりが描かれていてそれだけでこれだけおもしろいってのはすごいなと思った。僕自身ここまでこじらせてるわけじゃないけど、読んでいてこれは僕だと思うようなところも多かった。読み進めていくうちにもしかしてこの主人公はすごくダメなやつなのではというのが、すこしづつわかるようになっているんだけど、そういうのもすごく上手だなと思った。

僕のワイフは僕のことをメンタルが丈夫すぎて怖いといった意味で「丈夫人間」となづけていて、全然落ち込まないわけじゃないんだけど、落ち込んだりしてもすぐマシンのように復活しているところが怖いらしい。

僕も全然落ち込まないわけじゃないし、心配なことはたくさんあるんだけど、落ち込むたびに、考えてもしょうがないことは考えないし、受け入れるしかないといった結論に何度もなった結果、その辺の落ち込んでからのいろいろ考える過程が省略されてすぐ復活するようになってしまったのかもしれない。もしかしたらその省略している過程で繊細さとか、きめ細やかさを失ってしまっているかもしれないから気を付けないといけないなと思う。

GAJAPAN144

GAJAPAN144の総括と展望を読んだ。

GA JAPAN 144

GA JAPAN 144

 

GAJAPANを毎号買うのはやめてるんだけど、年末の総括と展望の号だけは毎年買って読んでいる。僕みたいな田舎で建築やってる人間でも、いちおう最近の考え方とかは押さえておきたいなと思ってまじめによんでいる。 今回は藤本壮介と平田晃久だったのでおもしろかった。

ぼくはこの二人と、最近の建築しない若手の間の世代なんだけど、どちらかと上のほうに考え方は近いと思う。

伊東豊雄の「台中」でひとつの時代が終わったと書かれていたが、その次ってどうなるんだろうなと思う。

僕自身は最先端から程遠いし、最新がこれだからこういうのをつくろうということで設計を考えることはない。どちらかというと最近は古いものにヒントがあるような気がする。