ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

鳩の撃退法

佐藤正午の「鳩の撃退法」を読んだ。文庫で読んだ。

鳩の撃退法 上 (小学館文庫)

鳩の撃退法 上 (小学館文庫)

 
鳩の撃退法 下 (小学館文庫)

鳩の撃退法 下 (小学館文庫)

 

 おもしろかった。主人公が小説家で、作中作を書いていて、それがこの本そのものという謎の設定。どこまでが事実でどこまでが作り話なのか途中で分からなくなって(といってもどっちにしてもこれは小説だから作り話なんだけど、あくまで小説の中での事実と作り話という意味で)こちらを不安にさせるんだけど、その辺はうやむやでも読み進めれるくらいのぎりぎりの感じ。おもしろかった。

ニッポンの思想

佐々木敦の「ニッポンの思想」を読んだ。kindleで読んだ。

ニッポンの思想 (講談社現代新書)

ニッポンの思想 (講談社現代新書)

 

 西洋哲学の本は大学生の暇なときにいくつか読んだんだけど、日本の思想関係の本はかろうじて「構造と力」をたぶん読んだ記憶があって、あとは最近東浩紀とかを読んだくらいでほとんど読んでなかったし、かといってこれから読む元気や時間もないので、これを読めばわかるかなと思って読んだ。

引用が多くて若干読みにくかったけど(このへんはしょうがないと思った)、流れと登場人物とその特徴を追えただけでこの本を読んでよかったと思う。ほぼ10年前に書かれた本で、その時点で東浩紀の一人勝ちのように書かれてたけど、今でもそんなに変わってないかもしれない。東浩紀の本は最初の「存在論的 郵便的」は難しそうだから読んでなかったんだけど、そのあとの本はいくつか読んでみて読みやすかったんだけど、それも意識的だったということが分かった。

 

クォンタム・ファミリーズ

東浩紀の「クォンタム・ファミリーズ」を読んだ。

クォンタム・ファミリーズ (河出文庫)

クォンタム・ファミリーズ (河出文庫)

 

 平行世界が複数ある多元宇宙SF。途中から今どの世界にいるのかよくわからなくなった。というかそもそも本当に平行世界を移動しているのか、世界は本当にあるのかという疑いもでてくるし、そもそも現存在と虚構の違いってなんだっけといったようにわけわからなくするのが狙いなんだろうとも思う。

平行世界あるいは時間移動ものってやっぱり過去のうまくいかなかったことや失敗や過ちをなかったことにしたい、やり直したいといったことになるんだけど、この本でも根底にはそれがあった。

村上春樹の35歳問題(人生の折り返しを過ぎると可能性が収斂してくる)がこの本でもでてくるけど、確かに自分のことを考えてもあとはこの流れでいくしかないといった感じになっている。かといって別の人生の可能性を考えて涙がでたりすることはない。

平行世界物のドラマや漫画が最近多い気がするけど、なんか理由があるんだろうか。

 

新建築住宅特集 2018年1月号

久々住宅特集を買った。

新建築住宅特集2018年1月号/新年特大号<住宅の想像力>

新建築住宅特集2018年1月号/新年特大号<住宅の想像力>

 

妹島和世の巻頭論文、青木淳のプロジェクト、内藤廣の住宅論考が読みたくて買った。

青木淳の「両手ぶらり戦法」(相手方の希望をひたすら受け入れる)は僕も最近やっている。僕も自分で事務所をはじめたころはやりたいことがたくさんあって構成にこだわったり、ディテールをがんばったりしてたけど、最近は施主の要望をひたすら聞いたほうが謎なものができあがっておもしろいなと思っている。自分のボキャブラリーの外のものが出来上がるというか。

ただこういったやりかたは個人の施主の場合だけで、公共工事の時などは市民ワークショップでもやらない限り謎な要望は出てこないので、そういった仕事の時は自分でほとんど決めている。公共工事的なものが増えて個人の施主の仕事が減ってきたから、個人の施主の時くらいノーガードでもいいかなという感じになってきたのかもしれない。

住宅は結構難しいし、お金にもならないので、ここ一年くらいはやってなかったんだけど、内藤廣の住宅論考で「こんな難しい話はない。だから、試練の場、鍛錬の場として住宅の仕事は欠かせない」と書いてるので、つい最近いただいた案件は気が合うなと思ったら受けてみようかと思う。ただ、この雑誌に載ってる若手の人たちのように挑戦的なものは僕にはつくれないなあ…

素材と造形の歴史

山本学治の「素材と造形の歴史」を読んだ。

素材と造形の歴史 (SD選書 9)

素材と造形の歴史 (SD選書 9)

 

 土、木、石、ガラス、鉄といった素材がそれぞれどういった歴史をもっていて、どのように建築に使われてきたかを分析した本。

カーンが「レンガはアーチになりたがっている」と言ったり、ライトが「自然さ」といったときの素材に対する向き合い方って素材自体の追求だけじゃなくて、機能と素材の相互開発なんだろうな。形態は機能に従うとか、形態こそ新しい機能を創造するとかいった方向性に素材の科学的把握が加わってはじめて自然で違和感のないものがつくれるような気がする。機能的にも科学的にも自然なもの。

 

 

子育てをしながら建築を仕事にする

「子育てをしながら建築を仕事にする」を読んだ。

子育てしながら建築を仕事にする

子育てしながら建築を仕事にする

  • 作者: 成瀬友梨,三井祐介,萬玉直子,杉野勇太,アリソン理恵,豊田啓介,馬場祥子,勝岡裕貴,鈴木悠子,木下洋介,永山祐子,瀬山真樹夫,杤尾直也,矢野香里,松島潤平,吉川史子
  • 出版社/メーカー: 学芸出版社
  • 発売日: 2018/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 主に建築の設計を仕事にする人たちが子育てと仕事をどうやって両立させているか書いてくれてる。意匠設計、構造設計、設備設計、組織事務所、スタッフの人、事業主の人などいろんなひとが書いてるけど、夜型だったけど朝型に変えたとか、保活が大変とか、家事の分担とか内容が重複するところも多かった(どこの家でも子育てが大変なのは大差ないということだと思う)。都市部の人の話ばかりだったので、田舎の人のこととかもあってもいいのではと思った(僕が田舎なので)。

その中でも、松島さんの三つ子の話と、吉川さんの話はおもしろかった。吉川さんだけ年が少し上で子供も大きいのでほかの人よりもちょっと先の生活が分かる感じ。

この本を読むと激務っぽく描かれてるので、逆に仕事しながら子育ては大変そうだなあと思ってしまいそうで心配だけど、建築じゃなくても残業がある職場だとどこでも同じだろうなあとも思う。

僕もできるだけ残業をしないようにしていて、案の検討に時間をあまりつかわなくなってきた。経験が増えて判断が早くなったのか、年を取って無難になってきたのかはよくわからない。もともと模型をたくさんつくってスタディしたりするタイプではないんだけど、模型をたくさん作るのは確かにわかりやすいんだけど、時間をかけただけの効果があるかどうかは謎だなと学生のころから思ってる。

ひとつのものにたくさん時間をかけて渾身のひとつをつくるよりも、それなりにいいものをたくさん作るほうが自分には向いてるし、たぶん今はそれしかできない。そのなかでも自分が今までやってなかったジャンルのものを少しずつ増やしていこうとは思ってる。そういった意味でも住宅は時間がかかるし、いままで数件やってもういいかなと思ってきたので、ここ1年くらいはやらないようにしてきた。

残像のモダニズム

槇文彦の「残像のモダニズム」を読んだ。

槇文彦のエッセイ集。「漂うモダニズム」から4年しか経ってないのに結構書いたなという印象(I・Mペイのインタビューは2008年)。冒頭の「変貌する建築家の生態」は「漂うモダニズム(エッセイ)」→「応答「漂うモダニズム」」→「応答「漂うモダニズム」に応える」の続きのようなエッセイ。これにさらにほかの建築家たちが反応しているみたいで、こういったやりとりは昔は新建築とかでたまにみたけど、今では本当にめずらしい。

V章は新国立競技場関係で、何かずいぶん前の話に感じたけど、まだ建ってないし、オリンピックもまだだった。改めて読むと、槇さんの書いてることは真っ当で、当時はキールアーチガーとか、3000億円ガーとか、ザハのデザインガーとかミスリードを誘ったように感じてしまっていたけど、それは槇さんに続いたひとやほかの活動家、マスメディアが騒いでただけだった。槇さんは一貫してプログラムがでかすぎると主張されていて、プログラムを見直したうえで、「コンペの当選者に敬意を表し、ザハ・ハディド・・・が考えられる(p233)」といったオプションも示している。

それでもやっぱり「ザハ・ハディドにとって今回のコンペは、毎年世界中のどこかで行われている国際コンペの一つに過ぎなかったのだろう(p231)」と書いているように気に入らなかったのは確かだと思う。