ルイス・カーンってブルータリズムでいいんだっけ?

こないだふと「Louis I Kahn のIのところってなんてだったっけ?」って急に気になって(別にどうでもいいのに)ググったら、wikiにLouis Isadore Kahnって書いてあって、それそれ、イザドアだったか―ってすっきりして、やっぱりウィキペディアさんって便利って思ったんだけど、そのすぐ下にブルータリズム(野獣主義)の代表者の一人でもあるって書いてあってそうだったっけーってなりました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BBI%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3

ちなみにブルータリズムなんだったっけと思ってこれもググったら、

ブルータリズム(brutalism)またはニュー・ブルータリズム(new brutalism)は、1950年代に見られるようになった建築の形式で、冷酷で厳しい獣のような(すなわちブルータルな)手法を用いた表現主義である。荒々しさを残した打放しコンクリート等を用いた彫塑的な表現(ベトン・ブリュット/生のコンクリート)を特徴とする 

※出典 ウィキペディア

てことになってるんだけど、僕の中では(学生の時に読んだ本の記憶なのでずいぶん前の話ですが)ブルータリズム=スミッソン夫婦(確か提唱者)とその周辺(誰がいたのかよく知らないけど)ってことになってたので、カーンが代表者の一人というのは意外でした。

ここで僕が気になってるのは、カーンがブルータリズムにくくられるかどうか、違うのではないかということを指摘したいのではなく、そもそもこういった歴史的なジャンル分けって、自分の歴史的な文脈における位置づけに意識的な建築家と、そういうのには特に意識せず自分がサイコーと思う建築をつくり続けていたら、歴史家にあとで勝手にタグ付けされる建築家がいるなあということです。

ブルータリズムの例でいうと、打ちっ放しコンクリートを多用しているかどうかと、1950年代に活躍したかどうか(ここで年代は割と重要で、今打ちっ放しばかりやっててもブルータリズムとは呼ばれないはず)という2つに該当すればだいたいブルータリズムに入れとくことになるのではと。論文とかではじめに言葉の定義づけするときみたいに。

たとえば世界のANDO先生なんかはブルータリズムとは呼ばれないだろうし、モダニズムとかポストモダニズムとかは本人はどうでもいいのでは。学生の時に読んだカーティス先生によるこの本では、ANDO先生のことをクリティカルリージョナリズム(これにはバラガンやスカルパが含まれていた記憶が)だと書かれていていろいろありすぎて把握できないと思った記憶が。

近代建築の系譜―1900年以後〈下巻〉 (SDライブラリー)

近代建築の系譜―1900年以後〈下巻〉 (SDライブラリー)

  • 作者: ウィリアム・J.R.カーティス,五島朋子,末広香織,沢村明
  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 1990/05
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 もちろんこういった歴史家によるジャンル分けが全く意味ないわけではなくて、少し前の出来事を整理しておくことで、僕みたいな歴史の素人でも世界の見通しがよくなるという立派な役割がある。

ブルータリズムという言葉自体ひさびさに目にしたのですが、僕はこのブルータリズム的なものがけっこう好きなのではと思いました。ちゃらちゃらした感じがなくて。

こないだ行った植田正冶写真美術館もめっちゃブルータルなのでは(言葉の使い方これであってるのだろうか)。

f:id:paychiku:20131104154647j:plain

これを設計した高松伸さんはキリンプラザ大阪みたいなポストモダンというか、謎の様式みたいなのを設計する人だと思ってたけど、これはほんとめっちゃブルータルなのでは(言葉の使い方違うかもしれないが)。