読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

原っぱと遊園地2

建築

青木淳の「原っぱと遊園地2」を読んだ。

原っぱと遊園地〈2〉見えの行き来から生まれるリアリティ

原っぱと遊園地〈2〉見えの行き来から生まれるリアリティ

 

 ずっと事務所にあったんだけど、ようやく読み終えた。

前の本(「原っぱと遊園地」)を読んだときも思ったけど、この人はとにかく「決め方」に興味があるのだということ。もちろん設計は決定の積み重ねだからそこの「決め方」に設計者は責任を持たないといけないんだけど、そこへのこだわりが尋常じゃない。

「原っぱと遊園地」が2004年に出た本で、この本が2008年だから、その4年間かかれたものが収録されている。今は2015年だからこの本が出てから8年経った。

最近の青木事務所の仕事といえば、大宮前体育館と三次市民ホールがあるけど、この本がでた時と指向は変わったのだろうか。

”指向性の異なるさまざまな解像度のレイヤーをミルフィーユ状に重ねることで、単に構成を消すという以上に、その消すという操作さえも消す(新建築2014/7)"

と大宮前が掲載された新建築に書かれていた。

何かを決めるということは意味作用が発生するんだけど、同時に意味作用が消去されるようなものを重ねておくというようなことが、ほんとうに効果があるのか(消えているようにみえるのか)どうかぼくにはまだ分からない。

僕が分かる範囲のことを書けば、確かに設計者の意図がみえすいているとうざいなと思う。押しつけられたという感覚は消さなければならない。

 "私は人のある精神状態を喚起するための「空間装置」をつくるということに関心を持っていないどころか、そういう建築の位置づけを直感的に拒んでいる(p235)"

ほんとうは無頓着じゃないんだけど、意味作用の発生と消去を繰り返すことで(手法)、いかにも無頓着にみせる(土木や山田守のように)ことでおおらかさをだすといったところだろうか。