未知との遭遇

佐々木敦の「未知との遭遇」を読んだ。

未知との遭遇―無限のセカイと有限のワタシ

未知との遭遇―無限のセカイと有限のワタシ

 

佐々木敦さんのことは文化系トークラジオLifeとかでよく知っていたけど本を読んだのははじめて。

この本は、テクノを極めたいんだけどどれからたくさんありすぎてどれから聴いたらいいかわからない、といった学生さんの悩みから、過去とか未来とかとどう向き合っていくべきかといった内容になっていって、最終的には運命論のはなしになっていって、とてもおもしろい本だった。

僕が中高生の頃はインターネットとかはまだ普及してなかったから音楽どれから聴いたらいいかとかいった悩みはなかったけど、大学で論文のテーマを決めたり、設計課題に取り組んだりするときに似たようなことを考えていたと思う。つまり、それはすでに誰かがやっていたり、誰かが考えているかもしれないということ。論文だと先行研究について片っ端から当たっていかなければいけない。僕はとある海外の建築家に関する研究をテーマに選んだんだけど、結局資料を探しに海外の大学まで行った(建築そのものもみたかったからいいんだけど)。

運命について、僕は過去なら「起こってしまったものはしょうがない」と思うようにしてるし、未来については「すでに未来は決まっているのかもしれないし、何も決まってないかもしれないけど、そこについては証明のしようがないから今がんばるしかない」と思うようにしている。結局はこの本のなかで佐々木さんが書かれているように、過去も未来も現在も肯定するという考えに近いかもしれない。というかそれしかないような気がする。あのときこっちを選んでいたらとかいった分岐した未来(存在するのかもしれないけど)を想像するのは面倒だし、そこは省略したい。

未来については建築を設計する時によく考える。建築を考えるときはいろんな建ち方が考えられる。最初にパターンをたくさん出した方がいいのか、なんとなくこんな感じっていうのを最初に思いついたらそれを最適化させていくか、どちらも時間が限られた中での検討だから限界があるんだけど、建った後にこっちにしとけばよかったなってならないようにするにはどうするべきか。これも運命論的なもののような気がする。