ひらかれる建築

松村秀一の「ひらかれる建築」を読んだ。

ひらかれる建築: 「民主化」の作法 (ちくま新書 1214)

ひらかれる建築: 「民主化」の作法 (ちくま新書 1214)

 

何か新しい視点があるかと思ったけど民主化についてはそうでもなかった。

住宅メーカーなどに関する研究については豊富なデータがあるのでそこはおもしろかったんだけど、その先の時代のこと(2000年代以降の話)については聞いたことがあるようなことが多かった。

ストックが十分にあるわけだから、それをうまくつかうこと、新しいものをたてるよりいまあるもので使われてないものをいきいきとつかうひとたちがでてくることは大事だという話なんだけど。

僕も古いものの改修とかに関わることがあるけど、現行法を満足していないもののあつかいは悩む。古いものの補強、断熱、省エネのことなどを考えると、法的に改修義務がないものだとしても、建築士としてはなんだか積極的になれない。不動産屋なども責任持てないから敬遠されがちだと聞く。改修は金がかかるからと、そこをさぼっておいてあとで事故があったり、やたら電気代がかかったりして専門家の責任になると困るので、そのへんは使う人たちの責任のもとでやってもらうしかない。つまりそういった場合は僕は建築士として関わることはできない。

最近は「建築をしない建築」とかがポピュラーになってきて、微妙な操作の改造をやってみたり、地域を盛り上げたりするのをよく雑誌とかで見る。ワークショップをやったりして利用者を育てることはとても大事だということはよくわかるんだけど、それって本当に僕らがプロとしてやるべき仕事なんだろうかといった疑問は以前から大いに感じている。

今はリノベーションとかまちづくりとかをやっている若い人たちも、いまは仕事がなくて、できる範囲のことでおもしろいことをしたいと思ってそういうのをやっているだけで、建築の仕事が増えてきたらそうでもなくなるんじゃないかなと思ってしまうし、いつまでもそこばかり掘り下げて、本当に建築をしないとなると、それはもはや建築の専門家ではないから、まちづくりなどでも建築の専門家としてのアドバイスはできないのでは。

僕はもう少し建築そのものの力をまだ信じてやろうと思っているんだけど、もうそれは古いんだろうか…