漂うモダニズム

槇文彦の「漂うモダニズム」を読んだ。

漂うモダニズム

漂うモダニズム

 

 建築や都市に関するエッセイ集。最初の「漂うモダニズム」はこれからの建築がどうなるのかというよりも、若い人に向けたメッセージのように受け取った。僕(アラフォー)でもこの「モダニズム」という言葉がなんなのかいまいちわかったようでわからないので、もっと若い人はもっとピンと来ないのではと思ってしまう。槇さんはそれでもこの「モダニズム」という言葉にかなりこだわっている。なぜかは僕にはわかるわけがないけど、若いころ経験したこと(教育や旅やコルビュジェにあったことなど)が僕らと違って進行形のモダニズムだったんだと思う。僕が大学生の時はもうモダニズム(狭い意味での)はもう終わって教科書になっていた。

僕は大学生のころからCIAMメンバーら(コルビュジェ等)が作るピュアなモダニズム建築よりもそのあとのチームX(アルド・ファン・アイク槇文彦等)のメンバーが目指すヒューマニズムの建築のほうがいいなと思っていたし、今もこの時期の建築がいちばんいいのではと思っている。

建築の人間疎外とか建築の身体化とかっていまいち学生のころからピンときてなかったんだけど、この本の中に、

「自分の家のまわりに気に入った散歩道を発見した時、その人は町の一部を身体化したといってよい。」(p41)

と書いてあって、これならなんとなくわかるなと思った。要は公園の木の下や、図書館の席、喫茶店の席など、気に入ったところを見つけるということなんだと思う。