残像のモダニズム

槇文彦の「残像のモダニズム」を読んだ。

槇文彦のエッセイ集。「漂うモダニズム」から4年しか経ってないのに結構書いたなという印象(I・Mペイのインタビューは2008年)。冒頭の「変貌する建築家の生態」は「漂うモダニズム(エッセイ)」→「応答「漂うモダニズム」」→「応答「漂うモダニズム」に応える」の続きのようなエッセイ。これにさらにほかの建築家たちが反応しているみたいで、こういったやりとりは昔は新建築とかでたまにみたけど、今では本当にめずらしい。

V章は新国立競技場関係で、何かずいぶん前の話に感じたけど、まだ建ってないし、オリンピックもまだだった。改めて読むと、槇さんの書いてることは真っ当で、当時はキールアーチガーとか、3000億円ガーとか、ザハのデザインガーとかミスリードを誘ったように感じてしまっていたけど、それは槇さんに続いたひとやほかの活動家、マスメディアが騒いでただけだった。槇さんは一貫してプログラムがでかすぎると主張されていて、プログラムを見直したうえで、「コンペの当選者に敬意を表し、ザハ・ハディド・・・が考えられる(p233)」といったオプションも示している。

それでもやっぱり「ザハ・ハディドにとって今回のコンペは、毎年世界中のどこかで行われている国際コンペの一つに過ぎなかったのだろう(p231)」と書いているように気に入らなかったのは確かだと思う。