ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

<責任>の生成

國分功一郎、熊谷晋一郎の「<責任>の生成」を読んだ。

<責任>の生成ー中動態と当事者研究

<責任>の生成ー中動態と当事者研究

 

 國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」、「中動態の世界」、熊谷晋一郎の当事者研究の本を読んでいたのでそれらの研究が合体した感じでとても面白かった。

誰かに責任を取らせるために、受動態、能動態になった(意志の問題、意思は過去の説切断)。「好きになる」などは能動態ではなくて中動態(好きになろうと思ってなれるもんじゃない)。中動態を前提にすると環境が行為を促したり制限したりすること、アフォーダンスのこともよくわかる。

依存症の話、人は安定を求めるはずなのになぜ刺激を求めるのか、傷を忘れるために新たな傷をつくっているのではといった説はあるんじゃないかと思う。僕自身建築の設計をしているとふとした時にあれは大丈夫かなと心配事が突然わいてくることがあるけど、新しい問題(心配事)が出てくると、それまで気にしていた他の心配事のことは忘れることができる。だから常に新しいプロジェクトを抱えているほうが気分が楽だったりする。堀江貴文がとにかく忙しくしていれば死への恐怖のことなんかは忘れてしまう。暇だから考えてしまうんだといったことを何かで書いてて、同じ話だなと思った。

意思ってほんとうに何だろうと思った。ここ10数年、建築でも市民ワークショップでいろいろ決めたりしてるけど、設計者の責任逃れになりかねない。もしくは役所のアリバイづくりにつかわれかねない。この本にもあるように意思決定というより、欲望生成(要は要望の整理)が正しい。インフォームドコンセントもそう。

自由、意思、責任の正確な意味についてももう少し考えたくなった。全部上から決められると自由がない感じがするけど、個人で決めてね(でも自己責任で)というのもしんどい。この場合の責任、意思、自由ってこの本を読むとちょっと違うんじゃないかと思うようになってきた。