ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

空間のちから

内藤廣の「空間のちから」を読んだ。

空間のちから

空間のちから

  • 作者:内藤 廣
  • 発売日: 2021/01/01
  • メディア: 単行本
 

 「内藤廣設計図面集」を読んだ後だったから、内容が重なっているところもあったりしてさっと読めた。この本は「建築のちから」、「場のちから」と併せて3部作のようになっているんだけど、僕としたことが「場のちから」を読んでなかったのですぐ買った。

住宅の設計の難しい(入門編どころか最難関)。最初は住宅をつくって、軌道に乗ってきたら住宅の仕事は敬遠されると2章の冒頭で書かれていて、今まさに僕は住宅の仕事をしばらくやめようかなと思っていたのでやばいと思ってしまった。正直住宅はめんどくさい。建て主は細かいし、土日に打ち合わせを入れざるを得ないことが多い。公共工事等と違い、施工図や承認図などが出てこないことも多いので、施工者をコントロールするのも大変(結局自分が現場用の図面を描いたり、しょっちゅう現場に行かないといけない)。現場が進む中で確認をとりたいことが出てきて、施主と連絡をとりたくても平日の昼間はたいてい仕事をしてるからすぐには連絡がつかなくて、誤解されないような丁寧なメールを送らないといけない。真面目にやればやるほど効率が悪くなる。でも僕が好きな近代建築の名作はアアルトやカーン、バラガンの住宅だったりする。いつか僕がもうちょっとおっさんになったらゆっくり住宅をつくりたい(っていろんなおっさんが言ってるのが今なら理解できる)。

風変わりな建築や都会的なエッジの効いたものではなく、凡庸(複雑な内容をもった凡庸さ)であっていいということが書かれていた。僕も田舎でこそこそと活動してるわけだけど、岡山の樽村徹さんや神谷昭雄さんはいいなと思ってた。長野で宮本忠長さんの建築をみたときもすごい設計事務所が長野にあるんだなと思った。地方ですごい建築をつくっている人たち、普通っぽいけどめちゃくちゃレベルが高い建築をみると励みになる。

内藤廣設計図面集

内藤廣設計図面集」を読んだ。

内藤廣設計図面集

内藤廣設計図面集

  • 作者:内藤 廣
  • 発売日: 2020/12/23
  • メディア: 大型本
 

 でかい本だった。A4よりでかい。図をパラパラ眺めるだけじゃなくて、添えてある説明を読んで、ちゃんと時間をかけて読み込む努力をした。したけど普段自分が関わっている建物とかけ離れすぎている気もしてよく分からんところもたくさんあった。でかい断面詳細図を1枚描いて、それを中心としてそれに描きこめる情報を描けるだけ描いて何かあったらそれに立ち戻るというのはいいなと思った。

これに載ってるやつ結構見に行ってるけど最近のは見に行けてないから状況が落ち着いたらまた見に行きたい。

来世があったら内藤事務所に入りたいなと思うけど、びびってだめだろうな…。前にギャラリー間で内藤廣展やってて、内藤さんがいるときをねらって新幹線で日帰りで行って、順番に話ができる感じになってたのに、びびって何も話をせずに帰ってきてしまったのは今となってはいい思い出です。何話したらいいかよく分からんかったし、周りの人に聞かれるのもなんかあれだったし、要は内藤さんの圧がすごすぎて、すべてを見透かされているのではと感じてしまうくらいすごかった(と感じてしまった)。

病と障害と、傍らにあった本。

「病と障害と、傍らにあった本。」を読んだ。

いい本だった。当事者や、介護者のエッセイ。 最近は福祉、障害、精神の問題を扱った本をよく読んでいる。興味をもったのは、自分が障害者の支援施設の設計に関わったり、老人ホームの設計をしたりしているからというのもあるかもしれないけど、障害者の当事者研究等が、人を社会に合わせるのではなく、社会のほうが変わっていくという感じに可能性を感じてきた。僕は公衆トイレをよく設計するんだけど、設計の度に障害があるひとのことを想像する。障害といってもひとくくりにできず、それぞれ固有の症状があって、できるだけだれでも使えるようなインターフェイスにしないといけない。ぼくは何か特別なことを設計しているわけでもなくて、一般的な設備や寸法でやっているわけだけど、たまに福祉のまちづくり条例とか、TOTOのバリアフリーブックにないような部分がどうしても出てきて、そこの寸法や形状についてどうするか迷うときがある。そういうときは他の事例を研究したり、どこにもないときは最終的には想像するしかないときもある(できるだけそういうことがないようにしたい)。

この本を読んで、原田氏病、腎不全、ダウン症聴覚障害、筋肉障害等、友人や親族だけでもいろんな障害のある人が自分の周りにもいると思った。みんなが気を使わなくても生きていけるのってどうやったらいいんだろうと最近よく考える。

とりあえずカフカの本が読みたくなったので一冊岩波文庫を買った。

JR上野公園口

柳美里の「JR上野駅公園口」を読んだ。

JR上野駅公園口 (河出文庫)

JR上野駅公園口 (河出文庫)

 

 文庫で読んだ。最近は、障がいのある人のこと、うまくいかない人を自己責任で片付けられてしまうことがどうも気になる。今のルールや法律、社会を前提にうまいことやったやつが勝ちみたいなのはやっぱやだなと思う。そういうゲームだと割り切っていい場面もたくさんあるし、一応同じ条件のもとで勝負したことにしないときりがないこともわかる。時勢に左右されすぎる就職活動のダメさとかくだらなさ、やり直しのきかなさ、そこでの差別の話はほんとにうんざりする。

今のところ自分はなんとか大けがなくやってこられたけど、中年になってきて自分なりにとらえてる世界像みたいなのがちょっとずつ変わってきてて、若い時よりもどちらかというと悲観的というか、綱渡りというか、少し間違えただけですぐ生きづらくなってしまう世界のように感じてしまっている。
それぐらい息苦しさというか、助長性のなさを感じる。昔はもっと寛容だったのかもしれないと考えることもあるけど、マイノリティが獲得してきた権利は今のほうがあるとも思う。

とはいえ自分は場面によっては心をロボットのようにして割り切ったり、仕事他諸々失ったりしても、NBA視聴(目が見える限り)、岩波文庫の読破(図書館で借りれば金はいらない)、ラジオを聴く(耳が聴こえる限り)、ジョギング、バスケ(この辺はある程度の健康が必要)等、それなりに充実して生きる自信も今のところある。脳に障害とかが出ない限りこういった考え事もすることができる(今まで身につけてきた知識とかは失うことはない)。自分を社会や制度にアジャストできた人が勝ちで、そうでない人は負けみたいなのはなんとかしたい。どう考えても社会や制度のほうが間違っていることもまだまだあるはずなので。

主人公と天皇(今の上皇)を対比的に描かれているけど、もちろん天皇も特に苦労なくあんな感じで笑顔でいられるわけではなく、最近出たオバマ回顧録でも書かれていたように、昭和天皇の息子として難しい歴史の中を生きてきたはずで、双方ある種避けられない生まれ持った何かがある。単に格差が広がっているとかそういうことでもない気もする。
マジョリティがマイノリティに気を使って生きていたりとか、その権利多数のほうがを認めてやっているみたいなのはもういやだなと思う。

ゲンロン戦記

東浩紀の「ゲンロン戦記」を読んだ。

おもしろかった。僕は東京からは遠い地方に住んでいるからゲンロンカフェには行ったこともないし、友の会の会員でもないけど、ゲンロンの本は結構買って読んでるなと改めて思った。僕は読者層の一番多いとされているところ(30~40代男性)にあてはまる。ゲンロンははじまって10年。僕の事務所ももう少しで10年だけど歩みは全然違う。ゲンロンは事務仕事を人にやらせて失敗したと書いてあったけど、 僕は今まで一人も雇ったことがないので(専従者はいるけど)、どちらかというと自分は人に仕事を頼むのが下手だと思う。事務仕事だけでなく、構造や設備についても可能な限り自分でやっておきたい、仮に依頼したとしても隅々まで把握したいと思っている。技術的なことについては依頼したとしても元請としての責任があるから基本的に自分が分からない仕事は受けないしやらない。やったことがないことで勉強したらできそうかなということだけやる。

この本の中で事務仕事こそが会社の中心であるということが書いてあったけど、ほんとにそう思う。僕が会社員をやっていたときも、出世するのは雑用をやっていると思われてる総務の人だったりして、設計をやったり、技術畑の人はほとんど役員にならなかった。会社で設計をやるといっても図面を書くのはほとんど外注で、案を考えることすらほとんど外注だったりした。社員は工程管理(工事ではなく設計の)をやることが中心だった。仕事その時は設計をすることが本質的なことで、工程管理や事務仕事は自分がやることじゃないと思ってたけど、実際は事務仕事こそ責任をもって社員がやるべき仕事だった。

事務作業が本質なのかもしれないけど、案を考えたり図面を描いたりする時間って1日の内半分もなくて(全然ない日も多い)それはそれでまずい気がする。

誤配(飲み会等)が大事なのもよく分かる。大学の先生とかが言ってたことで覚えてるのってだいたい授業以外のときの話がほとんど。授業だと全体に向けて話してるけど、オフの時は個人に対して言ってるからかもしれない。僕は今もうおじさんだからいろんな新しい人に出会ったりとかは仕事関係だけで十分かなと思うけど、若い人は誤配ないといけないかもしれない。この話は「暇」について最近考えたことと通じるかもしれない。刺激がない状態(予測可能な範囲のことしかやらない)のほうが落ち着くかもしれないが、暇に人間は耐えられない(暇だと心配事やトラウマのことを思い出してしまう)ため、人は刺激を求めて予測不可能なことをやる。東さんが大事だと言う誤配も予測不可能なことだと言える。

発達障害当事者研究

綾屋紗月+熊谷晋一郎の「発達障害当事者研究」を読んだ。

 医学書院ケアをひらくのシリーズはできるだけ読みたいなと思っている。これで2冊目。いい本だった。障害がある人が社会に合わせるのではなく、社会があわせるべきで、障害がある人がそのままで生きやすくなったらいいなとほんとに思う。アフォーダンスというか、モノが発しているメッセージはその人の身体的な特徴によって受け取り方はそれぞれということを改めて感じた。

 

カフェの空間学

 「カフェの空間学」を読んだ。

カフェの空間学 世界のデザイン手法: Site specific cafe design

カフェの空間学 世界のデザイン手法: Site specific cafe design

  • 作者:加藤 匡毅,Puddle
  • 発売日: 2019/09/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 最近古い建物をリノベしてカフェ、シェアオフィス、ギャラリー等にするという依頼が立て続けにあったので、事例研究として買った。

雑誌とかでみたことあるのも多かったけど、著者のスケッチ入りで寸法とかも入っていて楽しく読めた。知らなかった海外の事例とかもあってよかった。

僕も事務所をはじめてもう少しで10年になるけど、しばらく新築の住宅はやらなくていいかなと思ってきた。僕が新築の住宅を設計しても、無難なものしか作らないから、設計力のあるビルダーと大差ない感じになる(建築知識ビルダーズに載ってるやつみたいなのになる)。それよりも小さくても公共工事の設計(これは専業の設計事務所しかできない)とか古い建物のリノベーションとかをやったほうが役に立ってるような気がするし、楽しい気がしてきた。