ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

サウナをつくろう

沼尻良の「サウナをつくろう」を読んだ。

紙の本がほしかったけど、kindleしかなかった。

サウナが流行ってて、ブルータスとかでも特集が組まれてる。中でも小規模でプリミティブな薪ストーブ式のサウナ小屋みたいなのが流行っている。うちにも依頼が来て、正直あんまりやりたくないけど、ひとまず勉強のためにこの本を読んだ。

サウナの歴史とか、そもそもサウナとはといった話、詳細図や細かい仕様を含めた実例が載っていて、数少ないサウナの資料になっていていい本だと思った。

しかし読めば読むほど、サウナの設計は難しいし、いい加減な設計はできないなと感じた。薪ストーブ式のサウナ小屋は慣れていない人が扱うとどう考えても事故になりそう。ネットで検索してみても最近の事故の記事が出てくる。火事も一酸化炭素中毒もこわい。やっぱ設計断ろうかなー…。(プリミティブな小屋の設計は好きなんだけど…)

 

「利他」とは何か

「利他」とは何か を読んだ。

いい人だと思われたいとか社会的な評価を得たいための利他的な行為は結局のところ利己的。

よく善意の押し付けとかありがた迷惑、偽善者とかって言われる。 

内藤廣は善意の断りにくさについて、「善意のディフェンス」と言っていた。

東京ポッド許可局でも「必要悪ー不必要善」について話されていた。

利他はかなりうさんくさいと思ってきたけど、もっと反射的、受動的な利他ならいいのかも。反射的な利他や受動的な利他は見返りを計算していないはず。

 

國分さんの最近の本を読むと自分の意志とか無からの創造とかもほとんどないなと思う。自分が設計している建築なんかはぜんぶすでにある技術の組み合わせだし、何か要望とかがあって初めて設計がはじまる。こっちから提案することはあるけど、そもそものスタートが依頼者からはじまっている時点でかなり受動的。いろいろ出てきた話を無理なく違和感なく成立させる作業が大半。アウトプットに差はあるかもしれないけど、そこに創造ぽいことを無理に盛り込むよりも、整理していく過程で出てきた謎のものがなんか面白いんじゃないだろうか。リノベーションがいま面白いのもそういったことが関係しているんだろうなと思う。

権力の空間/空間の権力

山本理顕の「権力の空間/空間の権力」を読んだ。

 途中までkindleで読んでいてなかなか読み進めれてなくて、しばらく放置していたんだけど、最近少しずつ読んでいたら、何やら自分が今関心があることにかなり近いことが書いてありそうな気がしてきたので物理本を買って読んだ。

そもそも専用住宅は近代化してからはじめてでてきたという話や、それより前は経済活動と住空間がつながっていて(併用住宅)、ギリシャ時代の家と日本の町屋はほぼ同じだなとか、面白かった。

山本理顕さんの「閾」の話も、ハンナアレントも学生のころから知ってはいたけど、いまいちピンときていなかった。時間が経って気になることってやっぱりあるなーと思った。最近読む本にやたらとアレントの話が出てくる。アレントの本も積読されてるからついに読む時が来た…(分厚いしなんか読みにくい)。

アンダーグラウンド

村上春樹の「アンダーグラウンド」を読んだ。

 かなり前に買って、いつかは読まないといけないと思っていて、気が向いたときに少しずつ読んだ。

かなりたくさんの地下鉄サリン事件の関係者にインタビューしたものをまとめた本で、読んでる途中からその日何があったかよりも、被害にあった人がどんな人で、どんな生活を送っていたかに興味が移ってしまった。どういった人が東京で地下鉄に乗っているのか、どういった経緯で東京で働いているのか等そういったことのほうが気になった。

「約束された場所で」も買ってあるのでそのうち読む。

 

 

 

 

ヒルサイドテラスで学ぶ建築設計製図

ヒルサイドテラスで学ぶ建築設計製図」を読んだ。

ヒルサイドテラスで学ぶ建築設計製図

ヒルサイドテラスで学ぶ建築設計製図

  • 作者:勝又 英明
  • 発売日: 2013/03/15
  • メディア: 大型本
 

 事務所で積読になってたやつを読んだ。どちらかというと学生向け。作図の前提としてのJIS規格での決まり事とか、簡単な法律のことなど書いてあって、僕が学生の時にこれがあったら参考にしただろうなと思う。

ヒルサイドテラス自体2回くらいしか行ったことないし、中に入ったことあるのは第6期のエリアだけなんだけど、外から見た印象は第一期がよさそうだった記憶がある。第一期のエリアはなんとなく入っていいのかどうか分からなかったんだけど(中に住宅も入っているので)、次はちょっと中に入ったり、ゆっくり眺めたりしてみたい。

定期的に製図の表現とか、線の太さ、作図の効率化についてはについては見直しているんだけど、最近はぼくもおじさんになってきてマウスを使うと手や肩が疲れるので、できるだけぎりぎりまで手描きスケッチで進めて最後にcadでまとめるというスタイルになってきた。CADで考えながら描いたりすると効率悪い気がする。手描きのほうがいろんなスケールを行ったり来たりしやすい。手描きの時点で着工できてしまうくらいディテールを詰めて、A3の方眼紙を使って部屋別に仕様や各図をいろんなスケールでまとめると全体像が見えてきて最終的に何を図面で表現すべきか分かりやすい。リノベーションの仕事とかは手描きスケッチのほうが施工者に伝わりやすいような気もする。

なんだかんだで考えながら描くのは手描き、製図はCADって感じなので、BIMは一生無理かもしれない(世代)。手描きは楽しいし手もそこまで疲れない。結局肩がこったり手が疲れたりしたら何をやるのもいやになるからはかどらないだけかもしれない。

コロナ時代の哲学

大澤真幸國分功一郎の「コロナ時代の哲学」を読んだ。

コロナ時代の哲学

コロナ時代の哲学

 

 薄い本なのですぐに読めた。内容もそこまで難しくなかった。アガンペンのコロナに対する議論(死者の問題と移動の自由)をもとに話がすすめられる。ロックダウン等の緊急事態が法的にありなのか、緊急事態は例外として権力にいろいろ決められてもいいのか、人間中心主義ではなく、生者中心主義になっているのでは等、短い中に論点がいろいろあっておもしろかった。そもそも「法の起源には法以前の暴力が仮定」「憲法があるということは、憲法制定権力があった」等の指摘はたしかにそうだなあと。法律と法律を守らせる何か(たぶん権力というか暴力)とかのことを考えるとそもそも法とか国家の前に人間なんだよなあということを考えてしまう。

最近読んだ数冊によく出てくるのがアレントの「人間の条件」で、「人間の条件」は以前に読んだんだけど、買って途中まで読んで放置していた山本理顕の「権力の空間/空間の権力」をそろそろ読む時がきたなと思っている(だいぶ前にkindleで買ってた)。アレントの話がなぜ建築に関係あるのかいまさらだけど(というか今だからこそ)分かってきた気がする。

<責任>の生成

國分功一郎、熊谷晋一郎の「<責任>の生成」を読んだ。

<責任>の生成ー中動態と当事者研究

<責任>の生成ー中動態と当事者研究

 

 國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」、「中動態の世界」、熊谷晋一郎の当事者研究の本を読んでいたのでそれらの研究が合体した感じでとても面白かった。

誰かに責任を取らせるために、受動態、能動態になった(意志の問題、意思は過去の説切断)。「好きになる」などは能動態ではなくて中動態(好きになろうと思ってなれるもんじゃない)。中動態を前提にすると環境が行為を促したり制限したりすること、アフォーダンスのこともよくわかる。

依存症の話、人は安定を求めるはずなのになぜ刺激を求めるのか、傷を忘れるために新たな傷をつくっているのではといった説はあるんじゃないかと思う。僕自身建築の設計をしているとふとした時にあれは大丈夫かなと心配事が突然わいてくることがあるけど、新しい問題(心配事)が出てくると、それまで気にしていた他の心配事のことは忘れることができる。だから常に新しいプロジェクトを抱えているほうが気分が楽だったりする。堀江貴文がとにかく忙しくしていれば死への恐怖のことなんかは忘れてしまう。暇だから考えてしまうんだといったことを何かで書いてて、同じ話だなと思った。

意思ってほんとうに何だろうと思った。ここ10数年、建築でも市民ワークショップでいろいろ決めたりしてるけど、設計者の責任逃れになりかねない。もしくは役所のアリバイづくりにつかわれかねない。この本にもあるように意思決定というより、欲望生成(要は要望の整理)が正しい。インフォームドコンセントもそう。

自由、意思、責任の正確な意味についてももう少し考えたくなった。全部上から決められると自由がない感じがするけど、個人で決めてね(でも自己責任で)というのもしんどい。この場合の責任、意思、自由ってこの本を読むとちょっと違うんじゃないかと思うようになってきた。