ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

建築の難問

内藤廣の「建築の難問」を読んだ。

内藤廣の本は出たらだいたい買って読んでいるから今回も買って読んだ。今回の内容は東日本大震災以降の活動の話で、読んでいて自分はこういったことがあったとき何も役に立てないかもなと少ししんどくなった。あとがきで内藤さん自身も触れられているけど(P269)、どんな災害(あるいは侵略戦争)の被害に心を寄せて心を痛めても、当事者の気持ちにはなりきれない。この辺のことに対するレスポンスは小説やドラマ、映画のほうがまだなにかヒントがあるような気がする。

最近建築の読み物を読むのがなんだかしんどくなってきた気がする(特に建築家が書くこいういったエッセイや論集)。彼らがこうあるべきと書いていることと自分がやっていることのギャップもあるし、自分がやってることが正しいと思えるほどの自信もない。単にこういうのを読みすぎて食傷気味、新たな発見がないか、自分が疲れていてコンディションが悪いだけか、その全部か。

内藤さんは建築家が行政に業者として扱われることが大嫌いなんだけど(P191)、僕は別にそれでもいいかなと思っている。もちろん僕も仕様書通りにやるだけじゃなくて、業としての仕事を超えて少しでもいいものになるように頑張っているつもりなんだけど。この辺はあくまで発注の形式上の話であって、行政とは互いに尊重しあって一緒にいいものをつくろうとしていると感じている(少なくとも自分側は)。それは僕が田舎でいつも決まった市町の担当者たちとやってるから関係性ができてるだけで、都会やコンペで取ってはじめての市町とかだと難しいのかもしれない。

誰かがやらないといけない雪かきのような仕事が建築設計業界にもあって、僕は結構そういうのを業として過不足なく手際よくやることにやりがいすら感じている。意外と難しいことも多いし、毎回新しい問題にぶつかるくらいに建築の設計は範囲が広い。

最近割と自分の仕事に対して、しゃれたもの(意匠的に)を求められることが多くなってきて、それはそれでうれしいんだけど、自分は大しておしゃれでもないので、どうしたものかなと思っている。おしゃれなものを期待されている中で、成果を出すのは難しい(ハードルが上がっている)。たいしてそういうのを求められてない中で、割と気が利いてるやん、といった感じでやってきたのでこれからもこれでいきたいんだけど…。そういった意味ではハードルが上がりきってる中で頑張っている人たちはほんとにすごいなと思う。

こういう本を読むのしんどいと書いたけど、もちろん励まされることも多い。コロナで建築を見に行くことが減ったけど、いい建築をみたら励まされるのでそろそろ何か見に行きたいなと思う。(建築が人を励ますこともあるとこの本のあとがきにに書かれているP275)