ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

ガソリン生活

伊坂幸太郎の「ガソリン生活」を読んだ。

ガソリン生活

ガソリン生活

 

 この本もしばらく前に買っていたけど積読になっていた。

車が語り手という斬新な設定で、車だけが知っていることや、逆に車から降りたところであったことについてはいまいち情報不足だったり、車同士の会話で分かることがあったりでおもしろかった。

伊坂幸太郎の本は出たらすぐ買って読んでいたんだけど、最近はなかなか読めていない。ほかにも読んでないのがいくつかあるから順番に読みたい。

積読になっている本がまだたくさんあるので、年末年始に順番に読んでいこうと思う。

ただ、今年度締めの仕事をたくさんいただいていて、その辺を早く片付けないと、安心して年末年始をゆっくり過ごせそうにないので、あと一週間頑張ろうと思う。まあ、どっちにしても年末年始に仕事をする気はないんだけど。

クラウドからAIへ

クラウドからAIへ」を読んだ(kindleで)。

 しばらく前に買っていて、積読になっていたがようやく読めた。電子書籍の場合積読というのが適しているのかわからないけど。

車の運転なんかはすぐに自動になるんだろうな。将棋もAIが強くなるだろうし。

今年はベイマックスやアラン・チューリングの映画を観たけど、人間がロボットやAIに感情移入することについても、僕はいいことなんじゃないかと思っている。車好きの人が車に愛車の手入れをしたりすることとそんなに変わらないことだと思う。

僕らの業界でもこれからAI的なものはどんどん入ってきて、単純なものはAIがやってくれるようになるんだろうな。コンピュータが人間の仕事を奪うという考えもあるみたいだけど、僕は楽観的に考えていて、やりたくないことはどんどんコンピュータにまかせて、やりたいところを人間がやればいいと思う。どっちにしてもこういうのは不可逆な流れなんだろうけど。

三谷龍二の10センチ

「三谷龍二の10センチ」を読んだ。

三谷龍二の10センチ

三谷龍二の10センチ

 

木工デザイナー三谷龍二の松本にあるショップ「10センチ」ができるまでと、できてからの話が書いてある。

10センチは古いたばこ屋さんを改装したお店で、僕が松本に旅行で行ったときに寄ってみたけど、ちいさくてかわいかったが、中に入ると、愛想のないお姉さんが座っていて(確か編み物をしていた)、中はなんというか、緊張感があってこわい思いをした記憶がある。でもこれは僕がお店だと思って行ったからであって、これがギャラリーだとするとあれでいいんじゃないかと帰ったあとに思った。

文章も丁寧な感じがするし、そこから伝わる暮らしぶりも丁寧な感じがしていいなと思うけど、ちょっと気取りすぎなような気もするし、でもちょっとそういうのにまだあこがれるところもあって、なんというか、こういった丁寧派の人たち(中村好文とか松浦弥太郎)に対しては、愛憎入り混じるというか、複雑な気持ちになる。

それはやっぱり僕も大量生産の恩恵を受けて生活しているし、量産品の味気なさが(乱立した)作家の個性があるものよりもよく思えることが多いんだけど、自分がつくるものはそのどちらでもない、一見普通で変わったとこがないんだけど、きれいで気がきいたものをつくりたいなと思ってるからなんだろうな(つまり丁寧派と近い考えなんだろうな)。

「家」とは何かーアルヴァロ・シザの原点

「家」とは何かーアルヴァロ・シザの原点を読んだ。

新建築2014年5月臨時増刊号 「家」とは何か―アルヴァロ・シザの原点 (新建築 )

新建築2014年5月臨時増刊号 「家」とは何か―アルヴァロ・シザの原点 (新建築 )

 

 シザが改装した自邸についてのインタビュー本。

この家の敷地内に別棟で建てられたパヴィリオンと呼ばれる小さな建築(シザ家のこどもが遊びや勉強に使ったらしい)は、14歳だったシザが設計したらしい。

どんなにちいさな建築だとしても、14歳で設計ができるなんて、才能があるというか、恵まれているというか、どっちにしてもやっぱサラブレッドというか、すごい話だなと思った。

この本にロベルト・イヴェンス通りの家(シザの家)の写真がいくつか載っているけど、窓枠とか、巾木とか、階段の手すりとかが全部でかくて(日本だとだいたいこういうのはできるだけ小さくしたり、もしくはなしにしたりしたがる)、こういうのもいいなと最近は思う。

建築には数学がいっぱい!?

竹内薫藤本壮介の「建築には数学がいっぱい!?」を読んだ。

建築には数学がいっぱい!?

建築には数学がいっぱい!?

 

 数学(物理かも)の人と建築の人の対談本。藤本壮介は僕は決して真似したりしないけど、新しい原理でできた建築をつくろうとしているところがすごいと思う(つくったものはひとつもみたことがない)。

数学の話でつっこんだところがでてくるとちょっと難しいところがあったけど、なんとなくで読んだ。

4次元を図で表そうとかデカルト座標じゃないものとかは僕には想像するのが大変だけど、新しい建築とかはそういうのから出てくるのかもしれない。

解析的な人と幾何学な人がいると書かれていて、建築の人は幾何学的なんだろうけど、模型であれこれ確認して、図面に落とし込む段階ではそれが数式的にどういったしくみになっているか分からないとすっきりしないという解析的なところもあるような気もする。

 

美しい都市・醜い都市

五十嵐太郎の「美しい都市・醜い都市」を読んだ(kindleで)。

 最近、景観論(大きすぎてはいけないとか、色を統一しろとか、看板を減らせとか、文脈を読めとか)について、なんだか正解がよくわからんなと思っていて、この本はそれとは逆側の考え方だろうと思って、これを読んだ。

僕が最近かかわった仕事でデザインコードが抽象的な言葉で決められていたものがあった。そのデザインコードとやらはワークショップか何かで決められて、そのエリアに建つものはそれを守らないといけなかったんだけど、実際にいい感じになったかどうか、言葉のイメージにあったものができたかどうかは微妙な出来上がりだった。

やっぱりこういった場合は言葉で縛るより、センスのある誰かが責任をもって監修するべきだと思った。役所の人では具体的なデザインが言葉のイメージに合ってるかどうか判断できるわけないし、そもそも言葉のイメージにあっているかどうかよりも、それぞれの建築のバランスのほうがよっぽど大事なはずだし。

多様性を確保しながら、めちゃくちゃにならず、なんとなくバランスがとれてるってのが一番いいんだろうけど、やっぱり磯崎新の福岡ネクサスとか、内井昭蔵みたいなかんじで、めちゃくちゃセンスがある人が監修するしかないのだろうか。

そもそも古い町並みとか、集落の色が統一されているのは、現地でとれる材料をもとに建築がつくられていたからで、いろんな材料が手に入る現代において、そういうのにこだわったものは、時代に正直じゃないのかもしれないし、ノスタルジックでキッチュなただのテーマパークになってしまうかもしれない。

最近見た映画、ピクサーのカーズ2ででてくる東京はネオン看板だらけで、それが東京のかっこよさになっているし、この本でもソフィアコッポラや押井守とかの映画もそういっためちゃくちゃな感じが東京らしさになっていると書かれている。

逆に統一しまくった例として、平壌がでてくるんだけど、町並みは政治というか、思想というか、国の成り立ちの現れというか、なるほどと思った。ただ、これをコルビュジエとかのめちゃくちゃセンスがある建築家が監修したらすごくかっこよくなるかもしれないという怖さもある。そういうのってやっぱり条例みたいに言葉にはできなくて、定量化もできない、個人的な感性のようなものだということだろうか。個人的には管理的で統一感のあるものよりも、民主的=多様性の結果のめちゃくちゃのほうが退屈しなくていいかもなと思ってきた。

 それと、なんとなくやっぱり最近はかっこよさについて話をすることなんて少なくなってるような気がするけど(これについてはモダニズムの機能が自ずと美を導くという考えが原因とこの本に書いてあってなるほどと思った)、定量化できるものとか、色とかの記号的な操作じゃなくて、どういったものがほんとうにかっこいいのか、もっと言いやすい雰囲気になればいいなと思う。

哲学用語図鑑

田中正人(編集監修斎藤哲也)の「哲学用語図鑑」を読んだ。

哲学用語図鑑

哲学用語図鑑

 

 図鑑なので分からない用語が出てきたときにひらけばいいんだろうけど、とりあえず通しで読んだら流れがつかめるかと思って読んだ。イラスト入りで分かりやすくて、簡潔に書かれていて読みやすかった。今まで分かったようなつもりでいた用語が分かったような気がした。

僕が哲学の本に最初に触れたのは大学生の時で、建築家の本とかを読んでいるとやたらフランス哲学や構造主義の話がでてくるので、これは避けられないと思ってまじめにその手の本(といっても新書の入門書)をたくさんよんだ。入門書でも当時の僕ではなかなか読み進めることができなくてつらかった。それでも何冊か読むと少しづつ分かってくるし、この手の用語を理解したところで何かの役に立つわけではないんだけど、世界の見通しがよくなった気がした。

みんなに共通する「大きな物語」とか「真理」みたいなもうないのかもしれないけど、それでもやっぱり世界の謎はたくさんあると思うし、自分なりに解決したいと思う。