ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

中村好文

中村好文の「百戦錬磨の台所」を読んだ。

vol.1とvol.2まとめて読んだ。読むというよりほぼ写真と図面。

結局のところ僕は中村好文的なものが好きなんだと思う。住んでいる人の暮らしぶりとかをみるとどうしても気取っているなと思ってしまわなくもないけど、つくるとしたらこういうのをもう少し普通にした感じがいいなと思う。

家具の造作はしょっちゅうやっているけど、キッチンを家具造作でつくるのはまだやったことがない。今うちでお願いしている木工所は2つあるけど、どちらも高齢でいつやめてもおかしくないなと思っている。そのうち造作で建具とか家具をつくるのがほんとうに難しくなるような気がしている。今のうちにキッチンもやってみたい。

木工所の加藤治さんとの対談のところで、加藤さんが中村さんが手がけた住宅のうち160軒の家具を制作したと書いてあってたまげた。中村さんは少なくとも160軒の住宅を設計しているということになってすごすぎるとおもった。

中村さんが住んでいるCliff Houseは施主から購入した際にデッキテラスをやり替えたり、台所のカウンターを改造したり、原因不明の雨漏りがあって屋根をふき替えたと書いてあった。すべてがそうではないだろうけど、そんなのが潜在的に160もあると考えるとほんとに気が遠くなる。

僕が設計した建物はどれも完全なものはなくて(自分が設計したものが完璧という自信がある人は教えてほしい)、いつもああすればよかったなとかの繰り返し。不具合も大小ある。いろんな制約もあるし、自分の未熟さもある。いろいろつくってきた中で完璧なものなんてできるはずがないと思うようになった。先日アルヴァロ・シザのDVDを観たけど、「建物が完成するのはいつも嫌な気分だ。不安だし、完成形は存在しないからだ。すでにつくられたものから改良できる点がたくさんある。だがこれは身勝手な思い込みだ。建築家の手に余ることだからだ。」と言っていて、シザでさえそうなんだから、みんなそうなんだろうなと思ったし、そう思ってない人はどこかおかしいはず。

夜と霧

フランクルの「夜と霧」を読んだ。

図書館で借りて読んだ。

100分de名著の夜と霧の回を観てから読んだ。最近このパターンが多い。というか名著を全部読むのは無理なので(前提としていい本は全部読みたいと思っている)、100de名著を観ながら(初回から全部観るプロジェクト進行中)特に気になったものを読むようにしている。

ナチス強制収容所という極限の環境では歌を歌ったり文章を書いたり、そういうことができる人はなんとか生きていける。逆に肉体が強くても文化的なことができない人は心が壊れて生きていくのが難しくなる。

新訳のほうを読んだけど、とても読みやすい。手元に一冊ほしい。最近は新訳がいろいろでていて本当に助かる。

彼の左手は蛇

中村文則の「彼の左手は蛇」を読んだ。

なぜかリンクがオーディブルになっているけど、普通に読むほうの本を読んだ。

年度末までの仕事が片付いたら読もうと思っていて、ようやくよめた。

序盤から最後までずっと緊張感があってすごかった。頭がおかしくなった人を書かせたらこの人が一番だと思う。

中村文則の別の本を知人に何冊か貸したんだけど(何かおすすめを適当にと言われたので)、暗くて気持ち悪くて読めなかったと言われた。確かに暗くて気持ち悪いんだけど、そこが面白いというか、最後にはだいたい救いがある感じになっているし、暗くて気持ち悪い部分もだいたいみんな持っているんじゃないかなと思うし、少なくとも自分にはあるから、僕は読んで安心したりもする。みんな普通に暮らしていても、どこかで自分はいつかやばいことをしてしまうかもとか、今ここでこれをすると破滅してしまうなということをみんな考えたり思いついたりするのでは。少なくとも僕はそうで、もちろん実行はしないけど、こういうのを読むと自分だけじゃないんだなと思える。

この本の表紙にも逆S字のマークがついているなと読んだ後に気づいた。

気になってブラックマンバとインランドタイパンのことを調べたけど、蛇の目って丸くてかわいいんだよな。読んでいて確かに蛇っていろんな宗教とか信仰と関係あるんだなと思ったけど、読んでいるときはマンバメンタリティのことがずっとちらついていた。

 

 

思考の整理学

外山滋比古の「思考の整理学」を読んだ。

ブックオフか何かで買って読んだ。だいたい6ページずつのエッセイになっているので、寝る前に読むのにちょうどよかった。主に論文を書いたりするのに参考になると思うからやっぱり対象は大学生とか、大学教員とかなのかな。アイデアを出したり、寝かせてから考えてみたりとかそういうのからはちょっと遠ざかっているなと思った。

新しいマックブックネオを買うかどうか迷っていたけど、何に使うのか自分としても謎だったのでとりあえず保留。ただ、どこに出すというわけでもなく、考えていることを書きだしているだけのノート(word)みたいなものはあって、そういうのに使ってもいいのかもなと思ったりもしてる。

この本でもカードノートとか、スクラップとかいろいろ手法があるけど、今はみんな多分PC、スマホ、タブレットの何かのアプリでやるんだろうなと思う。

デバイスもいろいろあるけど今はほぼデスクトップPCを触っていて、スマホは単なる連絡手段、タブレットはテレビとかNBAをみるためのものになっている。ノートPCは全然使わなくなった。というか目をいたわるために、いかにデジタルデバイスから距離をおくかという感じになっているからな…(時間を奪われるとかそういうの以前に)。目が疲れないのはやっぱりデスクトップPCなんだよな。

とはいえ日々の考え事や出来事をさっとメモしたい(スマホ以外で)という気持ちもあるからそのあたりなんとかしたい。今は気づいたことをスマホに打ち込んでPCでまとめたりしているけど、それがいいのかどうか分からない。

 

 

手段からの解放

國分功一郎の「手段からの解放」を読んだ。

いい本だった。これまでの著作からの流れもあ。暇と退屈の倫理学の消費と浪費の違いや、目的への抵抗等。目的のため(嫌なことを忘れるとか)の飲酒と、酒そのものを味わうための飲酒は違う。
美しいもの、崇高なもの、端的にいいもの、これらは目的があってもいい。享受の快は目的を伴わないものがいい(単に味わう)。設定された目的のための手段はあまりよくない。目的ー手段関係はもちろんあってもいいんだけど、それが全てだとよくない。近年はSNSとかあってどんどん目的ー手段化している。

簡単に言うともっといろんなことを味わうことが大事だということなのかな。健康のためにバスケをするということよりも、バスケそのものを味わうとか、将来役に立つから読書をするというよりも、読書そのものを味わうとか。外食もSNSにアップするために食べるよりも、食事そのものを味わうほうがいいに決まっている。僕は外食の時はいつも同じ蕎麦屋に行くけど、おいしいからというのもあるけど、近いし早いからというのもあって、それは享受の快と目的を伴うものがまざっているかもしれない。こういった感じで教授の快は目的ー手段関係に浸食されやすいとも書かれていた。
一章と二章に分かれていて、一章は書かれたもの、二章は講義だから、二章のほうが分かりやすい。内容は同じ。僕はそのまま順番に読んだ。一章を読むのは少し時間かかったけど、一章を読んで二章を読むと分かりやすかった。

 

正欲

朝井リョウの「正欲」を読んだ。図書館で借りて読んだ。

多様性といっても、その多様性にもメジャーとマイナーがあって、そこからこぼれ落ちるものがあるということ。それはそうなんだろうなと思う。こぼれ落ちないようにするためにはどうしたらいいのか僕にはもう分からないし、この本のようなことがあるのであれば自分の想像力では追いつかないかもしれないし、理解しようとすることすら傲慢なのかもしれない。
これは僕がおじさんになってアップデートについていけなくなっているのかもしれないけど、現代小説はこういった話、こんなマイノリティがいて、こんなに苦しんでいる人たちがいるというようないろんなバリエーションをひたすらみさせられているような気になってくる。今年は現代小説を読まずに古典やミステリを読んでいこうと思う。あと、少し読む本を減らしてNHKオンデマンドのコンテンツを観ようと思う。数年前から100分de名著を最初から全部みるプロジェクトをやっていて、今まだ1/3くらい。あとは朝ドラ、大河、ドキュメント72時間を適当にみる。

アーモンド

ソン・ウォンピョンの「アーモンド」を読んだ。図書館で借りて読んだ。

文体が読みやすく、登場人物も少なくてシンプルな話なんだけど、なんかよかった。おもしろかった。

主人公の一人称で書かれているんだけど、主人公が感情が分からないから起こった出来事が書かれているだけ。だからなのか分かりやすい。

こういう時はこう感じるべきといったのは全部決めつけだなと思った。

同じ作者の「三十の反撃」も図書館で借りて読んだ。これもよかった。どちらも同じ訳者なんだけど、文体がシンプルで分かりやすいのはもしかして訳者がいいからなのかもと思った。