パン屋再襲撃

村上春樹の短編集「パン屋再襲撃」を読んだ。

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

 

 ブックオフでまとめて買った古本の積読から。80年代に出た本なんだけど、酒を飲んで普通に車に乗ったりしていて、そんな時代だったなと思った。

村上春樹って最近はキザな感じを揶揄されたりする傾向にあるけど、何とも言えない謎めいた話で(別にSFってわけでもない)なんかやっぱりいいなと思った。新しいの読んでないからやっぱり読んでみようかな。

フリー

クリス・アンダーソンの「フリー」を読んだ。

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

 

 ずいぶん前に買って積読になってたんだけどようやく読み終えた。無料の仕組みについてなんとなくわかった気がするし、この本が出てから10年近くたつけど、そこまで新たな展開もない。

そんな僕もフリーでブログを書いているし、購入するか検討中のソフトのデモ版をDLしようかなと思っている。

建築の設計の無料との関係はどうなのかなと考えたけど、住宅メーカーや工務店なんかは見積に設計費は計上してない(どこかに溶け込んでいる)からフリーだということになる。僕に設計を頼む人たちはわざわざ設計費を払って依頼している。

設計の仕事をAIが自動でやるような時代もくるんだろうな。しょうもない仕事はどんどん自動化して無料に近づけばいいと思う。

GA JAPAN 150

GA JAPAN 150 「総括と展望」を読んだ。

GA JAPAN 150

GA JAPAN 150

 

一番気になったのは西沢の「自分の物語」を持つ必要があるといった話。

自分の興味に引き付けて建築の設計をするのは設計者のエゴが出そうな気もするけど、逆に何もなければ誰が設計しても同じなので、そういうのもあるかもなと思っている。20年前くらいは非作家性などのキーワードをよくみた気がするけど、今は逆に振れてるのか、最近の大衆迎合的なワークショップ建築や、プロポーザルの提案にみる美辞麗句を並べたような内容のものへの抵抗か。

みんなの意見をまとめたらこうなりましたみたいな分かりやすい建築よりも、謎めいたものができたほうが面白いはずだし、建築はもっと難しくてもいいんだと思う。

コービー・ブライアント

ローランド・レイゼンビー(大西玲央訳)の「コービー・ブライアント失う勇気最高の男(ザ・マン)になるためさ!(英題SHOW BOAT)」を読んだ。

コービー・ブライアント 失う勇気 最高の男(ザ・マン)になるためさ!

コービー・ブライアント 失う勇気 最高の男(ザ・マン)になるためさ!

  • 作者: ローランド・レイゼンビー,大西玲央
  • 出版社/メーカー: 東邦出版
  • 発売日: 2017/10/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 コービー・ブライアントの伝記本で、コービーのおじいさんの話からはじまるとっても分厚い本でいつ読み終わるかなーと思ってたんだけど、おもしろかったのですぐに読めた(コービーが登場するまで長かったが)。

表紙に「NBAで最も好き嫌いが分かれた選手の生き様」と書いてあるんだけど、僕はコービーが活躍した00年代はあまりNBAを観てない時期(特に前半は)だったので、すごいのは分かってたけど、こんなにチーム内で衝突が多い選手だとは知らなかった。ただこの本を読むと、なぜそういった揉めるメンタリティにコービーが至ったか、それがコービーが活躍するためには欠かせなかったことなどよくわかる。

僕はずっとジョーダンの時代からずっとNBAはBS1で観ていたんだけど、今年から楽天の件があってBSでは観れなくなってしまったので、しぶしぶrakutenTVに加入した。いまのところ快適ではあるし、NBAが好きな人はrakutenTVやリーグパスに加入したりして観るんだろうけど、普通の人がなんとなくテレビをみていてNBAに出会うことはなくなったと考えるとほんとにこれがいいことかどうかは謎だなと思う。ただこれはJリーグとかプロ野球でも同じようなことが起こっているので、何とも言えない。BS1ではBリーグもやってるし。

R帝国

中村文則の「R帝国」を読んだ。図書館にあった。

R帝国

R帝国

 

本の最後に「本書の内容は、実在する個人・団体とは一切関係ありません。」と書いてあるけど、あとがきで作者が書いているように、この小説に出てくる人物や出来事は現実の何かを風刺していると受け取れるものだった。共謀罪のことや、右翼の金が左翼に流れてた疑惑や、半径5メートルの幸せ、トランプ大統領(ドゥテルデ?)など。

R帝国のRは右派のことだった。自由と多様性について考えるということについては僕はL寄りなんだろうけど、それの実現のために何かしてるかといえばそうでもないなと思った。 

応答漂うモダニズム

「応答漂うモダニズム」を読んだ。

応答 漂うモダニズム

応答 漂うモダニズム

 

 "モダニズムという巨船は失せ、大海原化し、モダニズムを支えてきたさまざまなコンテンツがポタージュ化して、その大海原の上を漂っている、つまりはモダニズムが漂っている"(p005)

という2012年に発表された槇文彦の「漂うモダニズム」に対する各建築家の応答集。

さらにこれら応答者に対する槇文彦の応答もこの本に収録されている。(その後残像のモダニズムも今年書かれた)

これからの建築はどうなるのかみたいな大きなテーマでこういった本に残る形での対話方式は今まであまりなかった。

槇さんの言う「ポタージュ化」した状況だと、「なんでもあり」になってしまって建築の善し悪しが分かりにくい。いいとかわるいとかが定まりすぎていても、それはそれで多様性がなく、不寛容な世界のような気がするので難しい。

応答の応答で槇さんが書くように「ある意味において、限りなく自由に満ちた時代に入った」というのは間違いないはずなんだけど…

こういった世界では「いきいき」した建築とか共感とかエコとかが共有可能なキーワードとして前景化してくる。

ただ、「いきいき」した建築とか、「共感」とかが新たな共有可能なキーワードだとすると、イオンとかツタヤが最強だというはなしになってしまって、それはそれでつまらないし、建築的な価値ってほんとうにそういうのだったかなと思う。

まちづくりとかワークショップにシフトしてきているグループもあって、数年前にメディアで散見した「つくらない建築家」みたいなキーワードも、つくらなかったら建築家でもなんでもないような気がするし、建築の専門性を持った人がワークショップなどを開いて使い方をみんなで考えるみたいなのは一見正しいような気がするけど、つくらなくなってしまっては建築の専門性も上がらないので、ただ単にワークショップを仕切る人になってしまうのでは。ワークショップの方向性が必ずしも正しいわけではない。「みんなで決めた方向性」にがんじがらめになってその後の計画がうまくいかないこともよくある。市民ワークショップみたいなのは、細かい意見を拾うのには向いているけど、大きな方向性を決めるには時間が短すぎる気がする。建築の寿命はどんどん長くなるはずなので、今使う人の意見に最適化されすぎるのが本当にいいのかどうか。(そもそも建築の身体化とかの問題って、もうしばらく前からあるような…)

こんなことを考えていると名作(時間を超えて万人がいいと思えるもの)ってこれからほんとに出てくるのかなと思う。

なんかやっぱりいい建築のあり方って一時のこうだからこうなったみたいな関係性とか共感をよぶようなものとかよりも、その関係性がなくなってもまだ価値があるようなものなんだと思う。

死ぬほど読書

丹羽宇一郎の「死ぬほど読書」を読んだ(Kindleで)。

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

 

 伊藤忠の社長の読書論。

僕も学生のころから月4冊読むことにしているんだけど、ここ数年はそこまで読めてないし、死ぬほどももちろん読めてない。

ことしも残すところあとわずかだけど、積読になってるやつから片づけていこうと思う。とか言いながら先日図書館でまた本を借りてしまった。