新建築住宅特集 2018年1月号

久々住宅特集を買った。

新建築住宅特集2018年1月号/新年特大号<住宅の想像力>

新建築住宅特集2018年1月号/新年特大号<住宅の想像力>

 

妹島和世の巻頭論文、青木淳のプロジェクト、内藤廣の住宅論考が読みたくて買った。

青木淳の「両手ぶらり戦法」(相手方の希望をひたすら受け入れる)は僕も最近やっている。僕も自分で事務所をはじめたころはやりたいことがたくさんあって構成にこだわったり、ディテールをがんばったりしてたけど、最近は施主の要望をひたすら聞いたほうが謎なものができあがっておもしろいなと思っている。自分のボキャブラリーの外のものが出来上がるというか。

ただこういったやりかたは個人の施主の場合だけで、公共工事の時などは市民ワークショップでもやらない限り謎な要望は出てこないので、そういった仕事の時は自分でほとんど決めている。公共工事的なものが増えて個人の施主の仕事が減ってきたから、個人の施主の時くらいノーガードでもいいかなという感じになってきたのかもしれない。

住宅は結構難しいし、お金にもならないので、ここ一年くらいはやってなかったんだけど、内藤廣の住宅論考で「こんな難しい話はない。だから、試練の場、鍛錬の場として住宅の仕事は欠かせない」と書いてるので、つい最近いただいた案件は気が合うなと思ったら受けてみようかと思う。ただ、この雑誌に載ってる若手の人たちのように挑戦的なものは僕にはつくれないなあ…

素材と造形の歴史

山本学治の「素材と造形の歴史」を読んだ。

素材と造形の歴史 (SD選書 9)

素材と造形の歴史 (SD選書 9)

 

 土、木、石、ガラス、鉄といった素材がそれぞれどういった歴史をもっていて、どのように建築に使われてきたかを分析した本。

カーンが「レンガはアーチになりたがっている」と言ったり、ライトが「自然さ」といったときの素材に対する向き合い方って素材自体の追求だけじゃなくて、機能と素材の相互開発なんだろうな。形態は機能に従うとか、形態こそ新しい機能を創造するとかいった方向性に素材の科学的把握が加わってはじめて自然で違和感のないものがつくれるような気がする。機能的にも科学的にも自然なもの。

 

 

子育てをしながら建築を仕事にする

「子育てをしながら建築を仕事にする」を読んだ。

子育てしながら建築を仕事にする

子育てしながら建築を仕事にする

  • 作者: 成瀬友梨,三井祐介,萬玉直子,杉野勇太,アリソン理恵,豊田啓介,馬場祥子,勝岡裕貴,鈴木悠子,木下洋介,永山祐子,瀬山真樹夫,杤尾直也,矢野香里,松島潤平,吉川史子
  • 出版社/メーカー: 学芸出版社
  • 発売日: 2018/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 主に建築の設計を仕事にする人たちが子育てと仕事をどうやって両立させているか書いてくれてる。意匠設計、構造設計、設備設計、組織事務所、スタッフの人、事業主の人などいろんなひとが書いてるけど、夜型だったけど朝型に変えたとか、保活が大変とか、家事の分担とか内容が重複するところも多かった(どこの家でも子育てが大変なのは大差ないということだと思う)。都市部の人の話ばかりだったので、田舎の人のこととかもあってもいいのではと思った(僕が田舎なので)。

その中でも、松島さんの三つ子の話と、吉川さんの話はおもしろかった。吉川さんだけ年が少し上で子供も大きいのでほかの人よりもちょっと先の生活が分かる感じ。

この本を読むと激務っぽく描かれてるので、逆に仕事しながら子育ては大変そうだなあと思ってしまいそうで心配だけど、建築じゃなくても残業がある職場だとどこでも同じだろうなあとも思う。

僕もできるだけ残業をしないようにしていて、案の検討に時間をあまりつかわなくなってきた。経験が増えて判断が早くなったのか、年を取って無難になってきたのかはよくわからない。もともと模型をたくさんつくってスタディしたりするタイプではないんだけど、模型をたくさん作るのは確かにわかりやすいんだけど、時間をかけただけの効果があるかどうかは謎だなと学生のころから思ってる。

ひとつのものにたくさん時間をかけて渾身のひとつをつくるよりも、それなりにいいものをたくさん作るほうが自分には向いてるし、たぶん今はそれしかできない。そのなかでも自分が今までやってなかったジャンルのものを少しずつ増やしていこうとは思ってる。そういった意味でも住宅は時間がかかるし、いままで数件やってもういいかなと思ってきたので、ここ1年くらいはやらないようにしてきた。

残像のモダニズム

槇文彦の「残像のモダニズム」を読んだ。

槇文彦のエッセイ集。「漂うモダニズム」から4年しか経ってないのに結構書いたなという印象(I・Mペイのインタビューは2008年)。冒頭の「変貌する建築家の生態」は「漂うモダニズム(エッセイ)」→「応答「漂うモダニズム」」→「応答「漂うモダニズム」に応える」の続きのようなエッセイ。これにさらにほかの建築家たちが反応しているみたいで、こういったやりとりは昔は新建築とかでたまにみたけど、今では本当にめずらしい。

V章は新国立競技場関係で、何かずいぶん前の話に感じたけど、まだ建ってないし、オリンピックもまだだった。改めて読むと、槇さんの書いてることは真っ当で、当時はキールアーチガーとか、3000億円ガーとか、ザハのデザインガーとかミスリードを誘ったように感じてしまっていたけど、それは槇さんに続いたひとやほかの活動家、マスメディアが騒いでただけだった。槇さんは一貫してプログラムがでかすぎると主張されていて、プログラムを見直したうえで、「コンペの当選者に敬意を表し、ザハ・ハディド・・・が考えられる(p233)」といったオプションも示している。

それでもやっぱり「ザハ・ハディドにとって今回のコンペは、毎年世界中のどこかで行われている国際コンペの一つに過ぎなかったのだろう(p231)」と書いているように気に入らなかったのは確かだと思う。

漂うモダニズム

槇文彦の「漂うモダニズム」を読んだ。

漂うモダニズム

漂うモダニズム

 

 建築や都市に関するエッセイ集。最初の「漂うモダニズム」はこれからの建築がどうなるのかというよりも、若い人に向けたメッセージのように受け取った。僕(アラフォー)でもこの「モダニズム」という言葉がなんなのかいまいちわかったようでわからないので、もっと若い人はもっとピンと来ないのではと思ってしまう。槇さんはそれでもこの「モダニズム」という言葉にかなりこだわっている。なぜかは僕にはわかるわけがないけど、若いころ経験したこと(教育や旅やコルビュジェにあったことなど)が僕らと違って進行形のモダニズムだったんだと思う。僕が大学生の時はもうモダニズム(狭い意味での)はもう終わって教科書になっていた。

僕は大学生のころからCIAMメンバーら(コルビュジェ等)が作るピュアなモダニズム建築よりもそのあとのチームX(アルド・ファン・アイク槇文彦等)のメンバーが目指すヒューマニズムの建築のほうがいいなと思っていたし、今もこの時期の建築がいちばんいいのではと思っている。

建築の人間疎外とか建築の身体化とかっていまいち学生のころからピンときてなかったんだけど、この本の中に、

「自分の家のまわりに気に入った散歩道を発見した時、その人は町の一部を身体化したといってよい。」(p41)

と書いてあって、これならなんとなくわかるなと思った。要は公園の木の下や、図書館の席、喫茶店の席など、気に入ったところを見つけるということなんだと思う。

観光客の哲学

東浩紀の「ゲンロン0 観光客の哲学」を読んだ。(kindleで読んだ)

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

 

 いい本だった。東さんの本は高度な議論をしているはずなのに、読みやすく、置いてけぼりにならない。対立軸のつくりかたも何度も繰り返されて分かりやすかった。複数の対立軸があるなかで、多様性や他者への寛容はありえるのかなど、いろんなことがクリアにみえてきた。

カラマーゾフの兄弟を(大学生のときに一度読んだきりなので)もう一度読んでみようかなと思った。

パン屋再襲撃

村上春樹の短編集「パン屋再襲撃」を読んだ。

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

 

 ブックオフでまとめて買った古本の積読から。80年代に出た本なんだけど、酒を飲んで普通に車に乗ったりしていて、そんな時代だったなと思った。

村上春樹って最近はキザな感じを揶揄されたりする傾向にあるけど、何とも言えない謎めいた話で(別にSFってわけでもない)なんかやっぱりいいなと思った。新しいの読んでないからやっぱり読んでみようかな。