ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt

「建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」を読んだ。

グラントワでやってた展覧会に行って、そこで買った図録のようなもの。

展覧会自体はものすごいボリュームでじっくりみると数時間では足りなかった(文字を全部読んだらこの本1冊分より多いはずなので)。

内藤廣のことは自分が学生の時から追っかけてて、近作やプロジェクトについても大体把握していると思っていたけど、全然知らないのが多かった。

全体を改めて眺めてみても、見に行きたいと思うのは海の博物館等初期のもの。それくらい学生の時に触れたものは影響大きいし、年をとるとあまり何も感じなくなる。ちひろ美術館・東京はもういちど行ってみたくなった。富山美術館と高田松原津波復興記念公園はまだ見てないから行ってみたい。

建築の雑誌もほとんど読まなくなって、日経アーキテクチュアを購読しているのと年末にGAJAPANを買うくらい。たまにa+uや住宅建築を買ったりするくらい。webのまとめとかも見ていない。ここ数年は新しいものはどれも同じようにみえてしまって、古いものにしか興味がわかなくなってしまった。

 

月と散文

又吉直樹の「月と散文」を読んだ。

エッセイ集で、ひとつが短いから空き時間に読むのにちょうどよかった。

日常におこった出来事に対して感じたことが書いてあったり、謎の設定の短い話(エッセイではないのでは)もあっておもしろかった。中村虚無の話(どの面さげて誰が言うとんねん)がいちばんおもしろかった。

虚無といえば最近読んだ虚山無夫の「ムーたち榎本俊二)」もおもしろかった。

はじめてのスピノザ

國分功一郎の「はじめてのスピノザ」を読んだ。

読みやすい本だったし、「100分de名著」のスピノザの回を読む前に観ていたからすっと入ってきた。

意思もまた何らかの原因によって決定されていて、絶対的な意思や、自由な意思は存在しない。意思が一元的に決定しているわけではなく、行為は多元的に決定されている。これは重い責任をやたら感じてしまう、責任をだれかにとらせようとする現代の人にとってはちょっとこころが軽くなる考え方だと思う。

組み合わせとしての善悪、自然界にはそれ自体良くも悪くもなく、うまく組み合わさるものとそうでないものがあるだけ。活動能力を増大させる組み合わせをみつけて、自分の力を必然性に応じて表現すれば自由というのは、完全な自由意思による自由より気持ちよさそうな気がする。ただこれにはとにかく試行錯誤がとにかく大事で、4章5章の真理や神のはなしにつながってきて、精錬、熟考によって自分が変容していって神とはなにか、心理とは何かを自分で獲得するしかない。自分が自由になるために、自分の力を最大化できる組み合わせは何かということを、いろいろやってみて自分に合うものを見つけていくしかないというよく考えたら当たり前の話でもある。当たり前の話なんだけど、自分に合わないと思うことを強制させられて我慢して続けるのはどう考えても自由と反対になるし、やっぱり自由になるのは難しいかもしれないが頑張るしかない。そこを頑張る人にしか自由はないということでもある。

GAJAPAN186

毎年年末年始に読んでいるGA JAPAN の総括と展望を読んだ。

 

GA JAPAN 186

GA JAPAN 186

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今回は藤原さん、石上さん、百田さん。

冒頭掲載されていた石上さんの水の美術館は水の満ち引きが内部にもあってすごそう。

今までは定期的に本屋で新建築など建築雑誌をまとめてざっと眺めてだいたい把握していたつもりだったんだけど、コロナ渦でチェックするのもやめてしまって、すっかり流れも何も分からなくなってしまった。今回総括と展望で話にでていたものもほとんど知らんかったし、もはや流れとかどうでもよくなってきたかもしれない(自分的にも世間的にも)。

万博だけはどうにもよさがよくわからなくて、木造ででかいリングをつくって炭素を固定するっていうロジックもずっと建っているならわかるけど、会期後にリユース、リサイクルするとしてもつくって短期間でばらして運んだりすると燃料も使うしちょっと苦しい気がする。

中村文則の「列」を読んだ。

読み進めていると、列の世界と現実がよくわからなくなったり、そもそも列の世界ってなんなんだといったことも謎なんだけど、よくわからないままだったしそれでいいんだと思う。

サルの研究の話が出てくるんだけど、同種殺しはチンパンジーとヒトだけっていうのは改めて怖いし、人間はそもそも邪悪でほおっておけば争いあうっていうカントの話も本当かもしれない。

 

あなたの燃える左手で

朝比奈秋の「あなたの燃える左手で」を読んだ。

図書館で読んだ。sessionで倉本さおりさんが紹介していたので読んだ。図書館で借りた。この人の本ははじめて読んだけどおもしろかった。倉本さんが勧める本はだいたいおもしろい。

日本人が主人公で東欧が舞台。いろんな国の人が登場してきて、それぞれの言語がなぜか関西弁などの日本の方言として聞こえてくるのがなんかおもしろかった。

僕は日本以外住んだことないから全然分からないけど、ヨーロッパに住んでいたら言語の違いも方言の違い程度なのかもしれないし、接している国境の感覚や領土を奪われたりする感覚も自分の体が他人の体と接続しているような感覚なのかもしれない。

 

目的への抵抗

國分功一郎の「目的への抵抗」を読んだ。

コロナ後の講演を2本まとめた本で、2本目のほうが「暇と退屈の倫理学」の延長のような話でおもしろかった。1本目は質疑応答が多めでそれもおもしろかった。

アガンペンの指摘する移動の自由の制限の危険さについては、普段からたいして移動していない自分にとっては実感がないけど、ヨーロッパの人たち(特に東ドイツにいた人たち)にとっては勝ち取ってきたものを失うようなものがあるのかもしれない。

チェスをするためにチェスをするような、目的から自由になることを忘れてはいけない、なぜなら手段や犠牲を正当化するようになってしまうから、というのは分かるけど、それを意識しすぎて(今自分は自由とか考えながら)チェスをしても楽しくないだろうし、健康のために運動するとか目的があったとしても、やってるうちに運動そのものが楽しくなったりすればそれはもはや合目的から離れて自由な気もする。

よく建築の設計課題とかで「多目的室」があって、無目的と同義と言われたりするけど、ほかの室名がついていると拘束力が出てきてしまう問題を思い出した。

今書いていて今日たまたま読んだ記事が結びついた。

www.asahi.com

青木淳の原っぱの話は最近読んだ訂正の話にもつながるような気もする。使われ方が描き替えられたり、人によって違ったり、新たに発見されたりするような。

P114にガンジーの言葉が引用されていて「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」とあって、知らない言葉だったけど、ガンジーやっぱりすごいなと思った。