ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

残像のモダニズム

槇文彦の「残像のモダニズム」を読んだ。

槇文彦のエッセイ集。「漂うモダニズム」から4年しか経ってないのに結構書いたなという印象(I・Mペイのインタビューは2008年)。冒頭の「変貌する建築家の生態」は「漂うモダニズム(エッセイ)」→「応答「漂うモダニズム」」→「応答「漂うモダニズム」に応える」の続きのようなエッセイ。これにさらにほかの建築家たちが反応しているみたいで、こういったやりとりは昔は新建築とかでたまにみたけど、今では本当にめずらしい。

V章は新国立競技場関係で、何かずいぶん前の話に感じたけど、まだ建ってないし、オリンピックもまだだった。改めて読むと、槇さんの書いてることは真っ当で、当時はキールアーチガーとか、3000億円ガーとか、ザハのデザインガーとかミスリードを誘ったように感じてしまっていたけど、それは槇さんに続いたひとやほかの活動家、マスメディアが騒いでただけだった。槇さんは一貫してプログラムがでかすぎると主張されていて、プログラムを見直したうえで、「コンペの当選者に敬意を表し、ザハ・ハディド・・・が考えられる(p233)」といったオプションも示している。

それでもやっぱり「ザハ・ハディドにとって今回のコンペは、毎年世界中のどこかで行われている国際コンペの一つに過ぎなかったのだろう(p231)」と書いているように気に入らなかったのは確かだと思う。

漂うモダニズム

槇文彦の「漂うモダニズム」を読んだ。

漂うモダニズム

漂うモダニズム

 

 建築や都市に関するエッセイ集。最初の「漂うモダニズム」はこれからの建築がどうなるのかというよりも、若い人に向けたメッセージのように受け取った。僕(アラフォー)でもこの「モダニズム」という言葉がなんなのかいまいちわかったようでわからないので、もっと若い人はもっとピンと来ないのではと思ってしまう。槇さんはそれでもこの「モダニズム」という言葉にかなりこだわっている。なぜかは僕にはわかるわけがないけど、若いころ経験したこと(教育や旅やコルビュジェにあったことなど)が僕らと違って進行形のモダニズムだったんだと思う。僕が大学生の時はもうモダニズム(狭い意味での)はもう終わって教科書になっていた。

僕は大学生のころからCIAMメンバーら(コルビュジェ等)が作るピュアなモダニズム建築よりもそのあとのチームX(アルド・ファン・アイク槇文彦等)のメンバーが目指すヒューマニズムの建築のほうがいいなと思っていたし、今もこの時期の建築がいちばんいいのではと思っている。

建築の人間疎外とか建築の身体化とかっていまいち学生のころからピンときてなかったんだけど、この本の中に、

「自分の家のまわりに気に入った散歩道を発見した時、その人は町の一部を身体化したといってよい。」(p41)

と書いてあって、これならなんとなくわかるなと思った。要は公園の木の下や、図書館の席、喫茶店の席など、気に入ったところを見つけるということなんだと思う。

観光客の哲学

東浩紀の「ゲンロン0 観光客の哲学」を読んだ。(kindleで読んだ)

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

 

 いい本だった。東さんの本は高度な議論をしているはずなのに、読みやすく、置いてけぼりにならない。対立軸のつくりかたも何度も繰り返されて分かりやすかった。複数の対立軸があるなかで、多様性や他者への寛容はありえるのかなど、いろんなことがクリアにみえてきた。

カラマーゾフの兄弟を(大学生のときに一度読んだきりなので)もう一度読んでみようかなと思った。

パン屋再襲撃

村上春樹の短編集「パン屋再襲撃」を読んだ。

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

 

 ブックオフでまとめて買った古本の積読から。80年代に出た本なんだけど、酒を飲んで普通に車に乗ったりしていて、そんな時代だったなと思った。

村上春樹って最近はキザな感じを揶揄されたりする傾向にあるけど、何とも言えない謎めいた話で(別にSFってわけでもない)なんかやっぱりいいなと思った。新しいの読んでないからやっぱり読んでみようかな。

フリー

クリス・アンダーソンの「フリー」を読んだ。

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

 

 ずいぶん前に買って積読になってたんだけどようやく読み終えた。無料の仕組みについてなんとなくわかった気がするし、この本が出てから10年近くたつけど、そこまで新たな展開もない。

そんな僕もフリーでブログを書いているし、購入するか検討中のソフトのデモ版をDLしようかなと思っている。

建築の設計の無料との関係はどうなのかなと考えたけど、住宅メーカーや工務店なんかは見積に設計費は計上してない(どこかに溶け込んでいる)からフリーだということになる。僕に設計を頼む人たちはわざわざ設計費を払って依頼している。

設計の仕事をAIが自動でやるような時代もくるんだろうな。しょうもない仕事はどんどん自動化して無料に近づけばいいと思う。

GA JAPAN 150

GA JAPAN 150 「総括と展望」を読んだ。

GA JAPAN 150

GA JAPAN 150

 

一番気になったのは西沢の「自分の物語」を持つ必要があるといった話。

自分の興味に引き付けて建築の設計をするのは設計者のエゴが出そうな気もするけど、逆に何もなければ誰が設計しても同じなので、そういうのもあるかもなと思っている。20年前くらいは非作家性などのキーワードをよくみた気がするけど、今は逆に振れてるのか、最近の大衆迎合的なワークショップ建築や、プロポーザルの提案にみる美辞麗句を並べたような内容のものへの抵抗か。

みんなの意見をまとめたらこうなりましたみたいな分かりやすい建築よりも、謎めいたものができたほうが面白いはずだし、建築はもっと難しくてもいいんだと思う。

コービー・ブライアント

ローランド・レイゼンビー(大西玲央訳)の「コービー・ブライアント失う勇気最高の男(ザ・マン)になるためさ!(英題SHOW BOAT)」を読んだ。

コービー・ブライアント 失う勇気 最高の男(ザ・マン)になるためさ!

コービー・ブライアント 失う勇気 最高の男(ザ・マン)になるためさ!

  • 作者: ローランド・レイゼンビー,大西玲央
  • 出版社/メーカー: 東邦出版
  • 発売日: 2017/10/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 コービー・ブライアントの伝記本で、コービーのおじいさんの話からはじまるとっても分厚い本でいつ読み終わるかなーと思ってたんだけど、おもしろかったのですぐに読めた(コービーが登場するまで長かったが)。

表紙に「NBAで最も好き嫌いが分かれた選手の生き様」と書いてあるんだけど、僕はコービーが活躍した00年代はあまりNBAを観てない時期(特に前半は)だったので、すごいのは分かってたけど、こんなにチーム内で衝突が多い選手だとは知らなかった。ただこの本を読むと、なぜそういった揉めるメンタリティにコービーが至ったか、それがコービーが活躍するためには欠かせなかったことなどよくわかる。

僕はずっとジョーダンの時代からずっとNBAはBS1で観ていたんだけど、今年から楽天の件があってBSでは観れなくなってしまったので、しぶしぶrakutenTVに加入した。いまのところ快適ではあるし、NBAが好きな人はrakutenTVやリーグパスに加入したりして観るんだろうけど、普通の人がなんとなくテレビをみていてNBAに出会うことはなくなったと考えるとほんとにこれがいいことかどうかは謎だなと思う。ただこれはJリーグとかプロ野球でも同じようなことが起こっているので、何とも言えない。BS1ではBリーグもやってるし。