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「JA94 住宅地から学ぶこと」を読んで

建築

ほぼ写真なので「読んで」というほど文章がなかったので「見て」の方が正確かもしれないがぜんぜん良さが分からなかった。

JA (ジェイエー) 2014年 07月号 [雑誌]

JA (ジェイエー) 2014年 07月号 [雑誌]

 

”住宅の外観写真の中から、その住宅が周辺の住宅地となんらかの影響関係を築いているものを選び出し、その影響関係を言語化”(1)

するといった特集で、「ボリュームの組み合わせを近似させる」とか「軒と窓の位置を連続させる」といった短い文章を添えて住宅の写真が掲載されている。この手の考え方は2000年前後からやたら増えたと記憶しているのだが、当時の雑誌をめくってみると

"内側から作り上げる論理以上に住宅相互の関係性に、敷地環境への応答に意識的な試みも始まっている"(2)

と1999年に千葉学氏が書いていた。実際にJA94では2001年以降の「新建築」、「住宅特集」に掲載されたものが使われているので、だいたい2000年前後からそういった考えが定着したとみてよさそうだ。ちょうどそのころ僕は学生だったんだけど、正直ぜんぜん良さが分からなかったし、相当怪しいと思っていたので、この辺のはなしは無視して古い本を読むことにしていた。

僕がこの手の考えに批判的なのにはいくつか理由があるんだけど、まずひとつめにせっかく隣の家と形を似せたりしても、隣の家は古いから先に建て変わるだろうし、周りと似た形のものが建つとは限らないから(可能性は低いとみたほうがいい)、何の形を引き継いだのかよく分からなくなるのではといった割と普通な疑問がある。隣が変わることによってどういう意図でその形にしたのかよくわからないといった、トマソン的な味わい方があるといわれたらそれまでだけど。

もうひとつは「近似させる」とか「連続させる」とか言っておきながらかなり目立っているのでは、というこれもまた割とシンプルな疑問がある。引きの写真でどれが建築家が設計したものか一瞬で分かってしまうっていうのはどういうことなんだろうなと思ってしまう。

隣の家とか街並みとの関係を考えること自体は否定しないし、むしろ大事なことだと思うけど、その関係性を解くことのみによって形を決定してしまうってのは結構危ないことだと思っている。隣をヒントに設計するよりも、隣がどんな建物に建て変わっても成立するような強度のあるもとをつくらなければいけないと思う。

この辺のはなしについて堀部安嗣氏は

"建築における関係性は、実は非常に危うく水っぽいものである。使い手や住まい手が変わるかもしれないし、隣の家が変わるかもしれない。時代も移り変わるかもしれない。最も拠り所になる気候や環境も変化する可能性もある。一時の「こうだからこうなった」という関係性だけでつくられたものは、その関係の変化に対して脆弱さを露呈する" (3)

と書いていて、僕は全面的ににこっちの考え方を支持する。

 これを読んでパラディオのヴィラ・ロトンダを思い出した。簡素なシンメトリーの平面で、外観はすべての面が同じで、教会でも学校でも家でも使えそうな建物。内部に入ると、4面とも同じ形をしていることによって、それぞれの外部との関係が全く異なることが際立つ。

 

(1)  住宅地から学ぶこと JA94 p.1

(2)  住宅によって都市は描けるのか / 千葉学  JA34 p.7

(3)  静かな場所 / 堀部安嗣 JA90 p.31