超・反知性主義入門

小田嶋隆の「超・反知性主義入門」を読んだ(kindleで)。

超・反知性主義入門

超・反知性主義入門

 

反知性主義という言葉を最近よく目にするけど、なんか僕が思ってたのと違う使われ方(単に本を読まないこととかの意味で)で使われているような気がするから、ちょっと勉強してみようと思って、でもホーフスタッターの本を読むのはしんどいので、気軽に読めそうなこれを読んだ。

 この本自体は小田嶋隆の連載コラムをまとめた本であって、直接反知性主義について語られるのは最後にある森本あんりとの対談だけなんだけど、最後の対談を読むと、それまでに読んだ小田嶋隆のコラムこそが反知性主義的なものだったのだということがよくわかる構成になっている。

僕が思っていた反知性主義はまさにこの本で書かれているようなことだと思っていたので、少し安心した。知識人(エリート)とか権力に対するカウンターのことを指しているわけで、本を読まないけどなんかうるさい人たちのことを指しているわけではない。知識人とか、その道の権威とかに対して、そこまで詳しくないけど、本質はこうじゃないかと言ったりすることなんだと思う。それは賢かったり、勉強したりしてないとできないのでは。無知な人が文句を言うこととは違うし、にわかは黙っとけというのとも違う。反知性主義って最近は悪い意味で使われがちだけど、もともとはいい意味でも使われてたはず。

これを読んだ後にどこかの建築家(某大学の先生)が「最近の若い人たちは反知性主義っていうか、本とかを読まないで、感性で建築をつくっているけど、幅広く本を読んで勉強しないといい建築はできない(建築以外の本もたくさん読めということ)」といったようなことを言っていたけど、それは反知性とかっていうよりも、ただ単に勉強不足なだけのような気がする。

反知性主義とはあまり関係なく、この本の中で繰り返し出てきたような話でいいなと思ったのが、「大学はそこに通ったことを生涯思い出し暮らす人が、幸せに生きる方法を見つけ出すための場所」、「ある時代に頻繁に聞いた曲はその当時の気分やその時の交友を正確に保存している」、「高校時代の自分というセルフイメージが今の自分を支えている」、「われわれは高校生だった時代の自分に叱られることで、自分を保つことができる」とかの、後ろ向きな考えというか、昔のことを思い出したり、感傷的になったりするようなことに肯定的なところだった。