東浩紀の「ゲンロン戦記」を読んだ。
おもしろかった。僕は東京からは遠い地方に住んでいるからゲンロンカフェには行ったこともないし、友の会の会員でもないけど、ゲンロンの本は結構買って読んでるなと改めて思った。僕は読者層の一番多いとされているところ(30~40代男性)にあてはまる。ゲンロンははじまって10年。僕の事務所ももう少しで10年だけど歩みは全然違う。ゲンロンは事務仕事を人にやらせて失敗したと書いてあったけど、 僕は今まで一人も雇ったことがないので(専従者はいるけど)、どちらかというと自分は人に仕事を頼むのが下手だと思う。事務仕事だけでなく、構造や設備についても可能な限り自分でやっておきたい、仮に依頼したとしても隅々まで把握したいと思っている。技術的なことについては依頼したとしても元請としての責任があるから基本的に自分が分からない仕事は受けないしやらない。やったことがないことで勉強したらできそうかなということだけやる。
この本の中で事務仕事こそが会社の中心であるということが書いてあったけど、ほんとにそう思う。僕が会社員をやっていたときも、出世するのは雑用をやっていると思われてる総務の人だったりして、設計をやったり、技術畑の人はほとんど役員にならなかった。会社で設計をやるといっても図面を書くのはほとんど外注で、案を考えることすらほとんど外注だったりした。社員は工程管理(工事ではなく設計の)をやることが中心だった。仕事その時は設計をすることが本質的なことで、工程管理や事務仕事は自分がやることじゃないと思ってたけど、実際は事務仕事こそ責任をもって社員がやるべき仕事だった。
事務作業が本質なのかもしれないけど、案を考えたり図面を描いたりする時間って1日の内半分もなくて(全然ない日も多い)それはそれでまずい気がする。
誤配(飲み会等)が大事なのもよく分かる。大学の先生とかが言ってたことで覚えてるのってだいたい授業以外のときの話がほとんど。授業だと全体に向けて話してるけど、オフの時は個人に対して言ってるからかもしれない。僕は今もうおじさんだからいろんな新しい人に出会ったりとかは仕事関係だけで十分かなと思うけど、若い人は誤配ないといけないかもしれない。この話は「暇」について最近考えたことと通じるかもしれない。刺激がない状態(予測可能な範囲のことしかやらない)のほうが落ち着くかもしれないが、暇に人間は耐えられない(暇だと心配事やトラウマのことを思い出してしまう)ため、人は刺激を求めて予測不可能なことをやる。東さんが大事だと言う誤配も予測不可能なことだと言える。