ぺいちくのブログ

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リベラリズムの終わり

萱野稔人の「リベラリズムの終わり」を読んだ。

図書館で借りて読んだ。

僕自身ずっと左寄りだと自認していたけど、最近ちょっとよくわからなくなってきた感は否めない。左右関係ない話かもしれないけど、いろいろ高度化して、守らないといけない決まりも増えて、以前よりずっとスマートな振る舞い、人を傷つけない振る舞いを求められているので、その辺を徹底していくのはかなり難しいと感じている。

この本の前半の内容には納得できたけど、後半はリベラリズムと再分配の話になっていて、再分配をリベラリズムの原理原則から説明できるかということに終始していて、それはどうも違うようだという結論になっていて、それはそれでいいと思うんだけど、なんかちょっと読みながらもやっとしていた。リベラリズムが再分配を重視していることと、そのピュアな原理原則で説明できないといけないかどうかがそんなに大事なのだろうか(政治哲学的には大事なんだと思う)。いろんな思想や原理、いろんな立場から考えて再分配が大事ってはなしでいいような気もするが、それだと判断に迷ったときに難しいのかもしれない。迷った時こそ原理原則に立ち返る必要があって、その時にシンプルでピュアな思想に基づく原理原則が必要なのかもしれない。

いずれにしても再分配は大事だとしてもリソースは限られているし、配慮しないといけないことは増え続ける一方だけど、人間のスマートさや、覚えていられる決まりの数にも限界があるような気がしている。でも僕がここ十数年興味があった社会学の世界はマイノリティの声に耳をかたむけることが前提になっていたはずなので、そこは大事にしたい。パイの取り合いになったり、主義主張をぶつけあったりすることにみんなちょっと疲れているような気もするけど、困っている人がいるのに見て見ぬふりはやっぱりしてはいけない。分配するパイがないから無理では済まされないと思う。何か別の方法がないんだろうか…。