ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

はじめてのスピノザ

國分功一郎の「はじめてのスピノザ」を読んだ。

読みやすい本だったし、「100分de名著」のスピノザの回を読む前に観ていたからすっと入ってきた。

意思もまた何らかの原因によって決定されていて、絶対的な意思や、自由な意思は存在しない。意思が一元的に決定しているわけではなく、行為は多元的に決定されている。これは重い責任をやたら感じてしまう、責任をだれかにとらせようとする現代の人にとってはちょっとこころが軽くなる考え方だと思う。

組み合わせとしての善悪、自然界にはそれ自体良くも悪くもなく、うまく組み合わさるものとそうでないものがあるだけ。活動能力を増大させる組み合わせをみつけて、自分の力を必然性に応じて表現すれば自由というのは、完全な自由意思による自由より気持ちよさそうな気がする。ただこれにはとにかく試行錯誤がとにかく大事で、4章5章の真理や神のはなしにつながってきて、精錬、熟考によって自分が変容していって神とはなにか、心理とは何かを自分で獲得するしかない。自分が自由になるために、自分の力を最大化できる組み合わせは何かということを、いろいろやってみて自分に合うものを見つけていくしかないというよく考えたら当たり前の話でもある。当たり前の話なんだけど、自分に合わないと思うことを強制させられて我慢して続けるのはどう考えても自由と反対になるし、やっぱり自由になるのは難しいかもしれないが頑張るしかない。そこを頑張る人にしか自由はないということでもある。