ぺいちくのブログ

本と建築のブログです。https://twitter.com/paychiku

訂正可能性の哲学、訂正する力

東浩紀の「訂正可能性の哲学」、「訂正する力」を読んだ。

「訂正可能性の哲学」を先に読んでそのあとに「訂正する力」を読んだ。

テーマは同じで「訂正可能性の哲学」も読みやすかったけど、「訂正する力」はそれをさらに読みやすくしたり、時事問題などの具体例に多く触れてあって分かりやすい。

バスケはずっと同じバスケをやっているようで、すこしずつルールが変わっていっている。ショットクロックが短くなったり、3ポイントが遠くなったり、トラベリングの考え方が変わったり、NBAだとディフェンス3秒があったりする。どれもバスケを面白くするために変わったことばかり。社会もそれと同じように少しずつルールを変えてよりよくする。時間がたっていろいろ変わっても同じ社会が続く。革命とかリセットとかではなく。個人も同じように変わる。考え方が右から左に変わったっていい。間違えることもあるし、そもそも人を完全に理解することなんて無理だから、人に対するイメージはしょっちゅう変わる。

僕も仕事に対する考え方(その時点での暫定的な正解)はしょっちゅう変わるし変わらなければ成長もない。建築基準法も変わるし、気候など環境も変わるから当然ではある。あのときああしてれば失敗したり問題が起きなかったなと思うこともあったけど、何もやらなければ多分自分はなにも気づかない。

そういった意味ではインターネットはやっぱり厄介だなと思う。過去の自分の発言を今みることができたり、矛盾や間違いを突き付けられたりする。本や新聞よりもすぐ出てくるし時系列もよくわからなくなったりする。

以前トークイベントみたいなのに話す側で呼ばれたけど、絶対にやりたくなかったから断った。ビデオのアーカイブが残るし文字起こしもあった。そのときの自分と今の自分では考え方がずいぶん違うし、僕のことを知らない人がそれをみると、今の考えと違ったとしても、こういう人なんだなと思われてもしょうがないしそれを訂正することはかなり難しい。「訂正する力」に書いてあったようにもっと親密なコミュニティであればその人のイメージを「じつは・・・だった」といった具合に訂正していけると思うけど、1回だけのイベントとかだったらチャンスはないからこれからも行きたくないし、そもそも自分のことを誰も知らないようなアウェイな場で面白いことを言う自信もない。そもそもこの本を読むと、ある程度知っている人のトークイベントとかにいって、話を聞いてみたらもともと持っていたイメージと違って面白かった。みたいな経験はものすごくたくさんある。気になる建物を見に行ったり観光地に実際に行ってみたときとかも同じようなことがある。